おはようございます みなさん
麻原彰晃
邪教オーム真理教の教祖
彼は先年死刑が執行され
この世の命を絶たれました
以前この男の罪を照会する
法話に接する機会がありました
それは
和合僧破壊の罪というもので
仏陀の僧団を破壊する行為や
仏陀自体を破壊する行為は
この罪に価して
この和合僧破壊の罪は
人間の罪としては殺人罪などを超える
最大の罪であり
もはや人間として生まれ代わることが出来なくなる
という
恐ろしいものです
そして
彼は人間としての生まれ変わりは
今世が最後の転生輪廻であり
来世からの転生は
透き通った水の中にしか生きることのできない
サンショウウオであると説かれていました
日本にもサンショウウオは生息して
絶滅危惧種としている地域もあるようです
かつてはハンザキと言って
半分に体を引き裂いてももう片方の身から再生する
そのため半分に裂いて食糧として食べて
もう片方は放流して再生させる
トカゲのように再生力の強い
たんぱく源の食糧で重宝されていたともあります
これは完全に魂の退化を意味する
哀れなる生き物の転生輪廻が待っているようです
来世は鳥に生まれ変わりたいとか
イルカに生まれ変わりたいなどと
言っている人がときどきいますが
一度そのような動物に生まれ変わる
そのような魂の経験をすると
人間で生まれることの大切さが
身に染みてわかるだろうと思います
動物を客観的に眺めてみるのはいいでしょうが
いざ自分がその動物に生まれ変わるとなると
大変な経験をさせられることになります
人間の言葉に近い発音を真似する犬や猫もいますが
もしかするとそのような過去世があったのかも知れません
やはり人間として生きている以上は
人間にしかない尊厳もあるだろうし
人権という観点からも
倫理や道徳
そして
崇高なる
人間にしかない
眼には見えない
信じる力を有しているということ
それが信仰心であり
人間として最も尊いものであろうと思います
この信仰心なくば動物と変わらなくなるでしょう
あるいは動物以下になり
ロボットやAIに負ける生物に成り下がるのでは
ないでしょうか
ところが
眼には見えないことをいいことに
人間の尊厳や信じる力を悪用し
邪教に導くような罪を犯したり
真なる仏陀を侮辱したり
仏陀が創りたる教団を惑わすような行為を
行った場合の罪は大変重いものなのです
それが和合僧破壊の罪です
サンショウウオの如く
きれいな水でしか生きられないということは
その水がいかに大切さを知れということでしょう
泥水や何かに汚染された水では生きられない
そのような世界での生活のみ
生を許されることを
今後の転生輪廻を通して
経験させられるのです
水はまるで人の心のようです
何かが混ざった水は美しくなく
綺麗でもありません
飲むことはできません
しかし
その濁った水も清らかに水に変わっていきます
心も同じように
長い人生の間には汚れたり濁ったり
することもあるでしょう
どこかでろ過され
澄んだ水とならなければいけないでしょう
そのろ過するものが
仏神が説く仏法真理であり
法語(のり)です
正しい信仰心に目覚め
真なる仏法真理触れるということは
大変尊いことであり
奇跡であるということを知るべきですね
仏法真理を知らずに
この世を去り
知らないだけではなく
人間以下の心でこの世を去ったその先は
哀れなる転生が待ち受けている可能性があります
怖いのは地獄に堕ちることだけではありません
魂の退化もあるということでしょうね
【一粒の水滴(すいてき)】
みなさんは
水滴が
天地のあいだを
自由自在に巡り
なんら
滞(とどこお)ることなく
引っ掛かることなく
己の使命を
果たしている姿を見て
「みずからも
あのようなものである」
ということを
知らねばなりません
それが
人間としての
原点でもあります・
大自然のなかに
手本があるのに
人間は
愚(おろ)かなことに
自分を過信し
自我を伸ばし
わがままなことをして
生きていきます
そして
心がしだいに
汚れていきます
水は
濁(にご)ることも
ありますが
濁ったままで
ありつづけることは
ありません
河が泥で濁っても
その水は
やがて澄んでいきます
また
水にどのような
不純物が
混じっていたとしても
水蒸気として
蒸発すると
元の
清浄無垢(せいじょうむく)な
水に戻ります
ところで
みなさんの
心のなかには
そうした
浄化作用が
はたしてあるでしょうか
みなさんは
どのようにして
自分自身の思いや
行ないを
浄化していくのでしょうか
そのために
私は
反省という修法も
教えています
HS
(伝道論p46)