おはようございます みなさん

 

 

 

相撲界の暴力問題は

根本的に解消する気配がありませんね

 

 

被害者貴ノ岩暴力沙汰事件から始まって

加害者貴ノ岩暴力事件に終わる

…でかたずけられるのでしょうか


 


一連の事件を見ても

因果応報と言えばそれまでですが

これにはもっと根深い因果がありそうですね

真相は厳しいですね

 

 


今日のテーマ「真説・八正道」中にある言葉

難しいテーマです

そもそも

この真理の世界に

生半可な気持ちで入ることを

まず拒絶しています

 


まるで角界に一般の人が入るが如くです

相撲取りの世界は

厳しく自分を律していかなければならない

武士道にも相通じる相撲道

宗教的な感覚の強い世界なので

同じ感じがします

 

 

【真の信仰、真の探究】

これは初期の頃の講義の中の説法です

いつもの語り口調でした

テープを聞いたことがあるがあります

 


いきなり「第一章 序論 ・・・」

から始まったように記憶しています

まるでそこにある本を読み上げているいる

そんな感じで始まりました

その第一章の中の言葉です

 


これはプロフェッショナルになるための

直弟子を導くための

方便の教えではないでしょうか

 


とにかく最初の頃は厳しかった

以前にもブログに載せたように

入会するのに試験があり

どれだけ本を読んで門を叩いているのか

それを見定めるほど

入会を拒絶しているような団体でした

 


釈尊が

大悟し初転法輪の際に

この教えのすべてを伝えるのは

人間の理解を拒絶していると

教えを説くことを

拒否したということが残っていますが

そのままの感じの説法でもあるようです

 

 

 


【真の信仰、真の探究】

 

 


私は

幸福の科学において

真理の
「探究・学習・伝道」
という

三段階の方法論を
説いておりますが

これはけっして
自然科学者のような
探究を言っているのでは
ありません

 


顕微鏡で
細菌を見ているような
探究をいうのでは
ありません・

 


根本において
確固とした

仏の創られた世界のなかに
生きているというこの土台

これをまず
認識するところから
始まるのであって

そのあと

この仏の世界の
なかにおける
様々な真理の探究や学習が
あるのだと
いうことであります

 


この根本を
満たしていない者は

まず真理探究の世界に
入ることは許されない

 


学ぶことが許されない

 


学ぶことが
許される前提条件は
仏を信じることである
ということを
知らねばならないので
あります・

 


安易な気持ちで
真理の道に入るなかれ

 


安易な気持ちで
この道に
入ろうとする方は

いち早く
引き返していただきたい

 


ほんとうに
真理を学ぶという
意味において
仏弟子になる気がある方は

それだけの
覚悟をしていただきたい

 


そして
真に仏というものを
信じるということを
スタート点として

学習に
入っていただきたいので
あります

 

 

 

 

 

 

HS

 

(真説・八正道p23)

◆単なる活字の情報レベルで終わらせない
根本仏への信仰を持って
「探究・学習」
悟りの道に入る

 

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