おはようございます みなさん

 

 


昨日のGPシリーズ第5戦ロシア杯 最終日

羽生結弦選手にとって試合継続の決断は

選手生命にかかわるほどのものだったのでしょう

 

 

それもフリーの演技前の練習で

古傷の右足首をねん挫し

医師の診断では3週間の安静だったからです

 

 

しかし

羽生結弦は演技を取りました

それは

「フリーはプルシェンコさんに向けて頑張りたい」と

演技をささげることを宣言していて

ロシアへの強い思いを込めて試合に臨んでいただけに

内容を変えることすら悔しかったようです

 


演技直前での内容変更は至難の業で

失敗する確率もいっそう高くなるようで

解説の織田信成さんは自分だったら

途中でパニックになると言っていました

 


それを一部ジャンプに失敗するなど

アクシデントはありましたが

最初の4回転ジャンプ2つは見事に決めての

高得点確保

まさに神業です

 


フィギアの選手がよく言う

「リンクには悪魔が住んでいる」

やはりそこには様々なリンクに係わる人々の

雑念である嫉妬心や妬み心・葛藤などが集積していて

それらに同通する霊的な魔が住んでるのでしょう

 


それをうっかり受けてしまうと

アクシデントに襲われ

ケガや失敗に繋がるのでしょう

今回も前回同様練習のとき

一瞬の油断に魔が差したところがあるようです

 

 

くしくも昨日のブログに載せたことが

現実化した感じになってしまいました

 


羽生結弦選手は以前より

練習中にアクシデントに襲われる傾向にあるようでした

油断大敵!日々剣が峰!

その一瞬一瞬が勝負なのです

 


それを試合では見事に跳ね返し

「魔に勝つ!」

とはこう言うことなんだと

実践した見せた

黄金に光り輝く

「降魔の境地」

がそこにはありました

 


松葉杖で記者会見に応じた羽生結弦は

ファイナルと全日本選手権は

厳しいとの見方を示したようです

 


充分にケガを治して

英気を養い

次の試合に挑んでほしいですね

 

 

 


【内なる黄金の仏像】

 

 


自らを振り返り

自己の内を
観ていったとき

心の奥に
沈潜(ちんせん)
していったとき

そこに私は
一つの自己像を見ます

 


その私は

肉体を持っている

私ではありません

 


それは

ちょうど
金色の仏像のごとく
見えるのであります

 


そして

その金色の仏像は

その内から

ちょうど
丹田(たんでん)と
いわれるあたりより

明らかに光を
発しているのです

 


この満月瞑想の姿は

実は
反省の完成された
姿でもあるということを

みなさんに
知っていただきたいのです

 


すなわち

みなさんは心のなかに

去来したいろいろな思いを

一つひとつ
反省されていくことと
思いますが

そして定(じょう)に
入っていったときに

このような自分の姿が
見えてこなければ
その反省は完成していない
ということなのです

 


反省が完成したときには

全身から光がでます

 


これを
オーラということばで
呼ぶこともありましょう

 


後光(ごこう)と
いうこともありましょう

 


しかし

それは単に
外面的なる後光ではなくて

霊的な目で見て

全身が
金色の像に
なっていなければ
ならないということです

 


そしてその内から

強烈な光が
四方八方に
散乱していなければ
ならないのであります

 

 

 

 

 

HS

 

(ユートピアの原理p141)

◆反省により
自らの内より光を発することができま
仏性の顕現!

 

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