おはようございます みなさん
連日
貴乃花親方のことが
マスコミに取り上げられ
平成の大横綱だった貴乃花が
今後どのような方向に行くのか
一連の騒動はいったいどこに落ち着くのか
その行方を様々な角度から取り上げ
報道しています
そこで見えてきた
貴乃花親方の生き方
考え方などが周囲への対処や
身近な人々の証言から
だんだん明らかになってきました
北の湖理事長に取り立てられ
将来的に理事長候補と名前が上がりながら
その北の湖理事長の急逸
そこへ兄弟子の不祥事や
貴ノ浪の急逸など度重なる不幸な出来事により
立場が逆転し支持を失っていきます
相撲道を貫くあまり
ガチンコ勝負
それが周囲との軋轢を生んでいきます
徐々に通常の倫理道徳・常識論からずれていき
相撲界では社交性がなくなり
人付き合いもへたくそになってしまいます
そして
貴乃花独自の悟りの道を開き
その頂点に立ってしまって
孤立してしまう
その道以外を歩めなくなってしまった
そのように見えてきます
こうなると誰が止めても
止まらない我が道を行く頑固な
ある意味
意地で固められた
孤高の人
まあ
相撲道の極みかも知れません
通常の人間の正道からは
外れるでしょうが
真の横綱を目指し相撲道を
極めた人の末路かもしれません
しかし
子供たちや
後進の者たちに
その道を教えるのはいかがなものか
極論は軋轢(あつれき)を生み
たとえ善なるものでも
悪に変わるものとなるでしょう
もう少し
自我を押さえて
仏教でいう
中道を学んだ方がよろしかろう
そのまま意地を通して
相撲協会を去るもよしでしょうが
本当に日本の相撲のことを
考えるならば
我を押さえて
街中の聖者を目指すべきではないでしょうか
これは忍びの心と勇気がいる事と思います
それを良しとしないのであるならば
さらに徹底的に相撲道を極め
大きな悟りを目指すのも
また一つの求道者の道
ただし
その道は他人に押し付けるものではないでしょう
その道は孤独に歩む道
大衆にはなじまないものと悟るべしです
そして
さらなる高みの頂点に達し
神の愛を感じるまでなったならば
その愛を人々に分け与えるべく
人々に享受するべきものではないでしょうか
神仏にも通じる
相撲道の頂点にあるものは
「人を愛し
人を生かし
人を許す」
神仏の「愛」そのものだと思います
貴乃花親方にその道が
開けるかどうか試されます
一個人としては
ある意味天狗に通じる道でもあるので
応援しています
(天狗と一緒にしてすみません)
誤解を招くといけませんので補足すると
相撲道と天狗は別のもので
お相撲さんが天狗の力を借りて
力比べをしているのは確かですが
天狗は増上慢や慢心・自我我欲の自己中
そして強いものこそが頂点に立てる勝負・競争の道
相撲道は「心・技・体」が基本の
心のある道であり心の奥には神仏の愛がある道です
貴乃花親方の目指す道は
真なる相撲道
神仏に通じる道でなければなりません
本来の相撲の在り方に
一石を投じ
今のままの大相撲でいいのか
もう少し宗教的な神事である
相撲道を残すべきものではないのか
そういう根本的なことを
相撲界に吹き込んでほしいと思います
いまや大相撲は神事の部分が軽んじられ
土俵に女性が上がるべきかどうかなどの
基本的な神事の部分が失われつつあります
またモンゴル人力士など
外国人力士による日本神道系の教えそのもの理解が
浅く宗教的な意味合いが薄れてきているように思います
そのようなところの今後相撲が将来的に
もっともいい意味で発展するする方向を
見出さなければならないでしょう
そこにはガチンコ相撲の貴乃花親方の存在は不可欠であり
今後の相撲の在り方を協議する立場に
なくてはならないのではないでしょうか
再び相撲界に復活して
相撲道を残すべく日本の精神の主柱を
立てるべく意見する
親方であってほしい
横綱を目指し
頂点を目指した時のように
誰にも負けない「熱意」をもって
頑張って欲しいです
【熱意】
天命から
外れていない
仕事をしているのに
成功しない場合は
「熱意が足りない」
ということです
自分が本当に好きで
自分の生命を
生かし切れる職業
仕事であったならば
熱意が
湧いてこなければ
駄目なのです
少々の能力差や
身体的ハンディなど
といったものは
熱意の前には
吹き飛んでしまいます
年齢的なものもそうです
すべて
吹き飛んでいくのです
成功しないのは
要するに
熱意が足りないのです
一生懸命に
不成功の言い訳を
探したところで
どうなるものでもありません
HS
(経営入門P67)