おはようございます みなさん
富岡八幡宮=江戸勧進相撲発祥の神社で
宮司継承を巡って骨肉の争い!
なんだかどこかの
協会でもにとような話が…
そう大相撲協会ですね
同じ相撲関連の事件ですね
しかし
こちらは刃傷沙汰
宮司の弟夫婦が姉である宮司を
日本刀で切りつけ殺害し
その後
妻を殺し
自分も自殺するという
凄惨な殺人事件にまで発展してしまいました
富岡八幡宮は1627年(寛永4年)創建の
菅原道真公の末裔といわれる長盛法印が神託で
八幡大神を尊崇した徳川将軍家の保護を受けた
由緒ある神社です
富岡八幡宮は1684年(貞享元年)
初めて寺社奉行の許しを得て
勧進相撲が行われた
江戸勧進相撲(現在の大相撲の前身)発祥の神社です
現在も新横綱誕生のおりの奉納土俵入りなどの式典が執り行われるほか
相撲にまつわる数々の石碑が建つ
2017年(平成29年)6月9日
稀勢の里が横綱力士碑の刻名式に参加して
自らの四股名を刻んだ
Wikipedia参照
そのような神社で
いったい何がどうなって
こんな事件にまで発展したのか
なんだか
このところ相撲界関連は
悪魔が取り憑いたかのような様相をみせていますね
この富岡八幡宮は今年2017年9月に神社本庁を離脱して
それがきっかけとなってこの事件が起きたようにも
伝えられています
この神社本庁
そもそもは神宮(伊勢神宮)を本宗とした
日本各地の神道系の宗教団体として
日本で最大神社を包括する宗教法人ですが
本庁とありますが民間の宗教法人です
しかし
皇室とも繋がりが深く
過去の総裁には有栖川宮幟仁親王の名前もあがります
本来であれば
天皇家の神事のもとである
天照大御神信仰にあるのでしょうが
以下の通り
敗戦後政教分離の中で天皇家存続と
神社の祀りが別けられしまった経緯があります
1945年(昭和20年)10月4日に
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)が
「思想、宗教、集会及言論の自由に対する制限」を撤廃し
「天皇、国体及日本帝国政府に関する無制限なる討議」を認める
「自由の指令」を公布する。
12月15日には
「神道指令」を日本政府に命じて神祇官を廃止し
西洋で見られる緩やかな政府と宗教の分離とはかけ離れた
国家から宗教的要素を完全に分離させることを目的とする
過激な内容を実施しようとした。
これにより
12月28日に「宗教団体法」が廃止されるとともに
「宗教法人令」が公布され即日施行される。
Wikipedia参照
このような経緯により
天皇家と分離されてしまった神社本庁は
糸が切れたタコのごとく
全国9万余りある神社とともに
形だけが残り教義は曖昧なまま
さまよい続けているようです
日本神道系は
八百万の神から成り立ち
それを統括していたのが天照大御神です
はっきり言って事細かく定められた
教義はなく
大自然に対する畏敬の念から成り立っているのです
それを表すのが以下の神社庁の綱領です
敬神生活の綱領
「神社本庁憲章」以前、神社本庁の実践的精神を示すものとして、昭和31年(1956年)に制定されたのが「敬神生活の綱領」である。
神道は天地悠久の大道であって、崇高なる精神を培ひ、太平を開くの基である。
神慮を畏み祖訓をつぎ、
いよいよ 道の精華を発揮し、
人類の福祉を増進するは、使命を達成する所以である。
ここにこの綱領をかかげて向ふところを明らかにし、実践につとめて以て大道を宣揚することを期する。
一 神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと
一 世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと
一 大御心をいただきてむつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること
Wikipedia参照
神社本庁には成文化された教義はないとWkipediaにもあります
これらのことも含め
今の日本の精神的主柱の崩壊が敗戦後70年を経過し
明らかに表面に現れつつあり
それは
相撲界に現れ
天皇の第二の人間宣言とも取れる
生前退位にも現れて来ているように思うのです
本来神事は神聖なるものでは無くてはならず
一般の人民の如く
天皇が齢を重ねたからと言って
退位が許されるほど甘くはないのではないか
人間的なる心情の上では許されても
日本の神々の目はもっと厳しいものなのではと
思ってみているのです
天皇陛下にあらせられては
公務を最低限に減らし皇太子に譲り
命尽きるまで
日本神道の最高神官(現人神)として
天皇の責務を貫き通すのが
本筋ではないかと
大変畏れながらご進言申し上げたいのです
日本人の心が
本来の信仰から遠ざかって久しいのは
日教組などの戦後教育の中で
左翼信仰を元にする
間違った政教分離の解釈によるものが
大いにあると思います
人間の生活の中でも
一本の柱を通すということは非常に大切で
そこには習慣の基があると思うのです
小さな習慣のように思われますが
例えば
「いただきます」という言葉で
食事が始まりますが
この言葉を
食事を提供した人にだけに伝えれば良いものだと思い
お金を払って食べるのだから
この言葉は不要と考える人がいます
とんでもない間違いです
お金を払って食べるにしても
その食事を作った人が存在していて
その材料を育てたり取って来たりする人がいます
さらには食事の材料となっている
お肉や魚あるいは野菜や果物にも
命が宿り
その命を提供してもらっている
感謝の気持ちとして
「いただきます」を言って食べるのである
ということを知らないでいます
小さな習慣のように思いますが
大変大きな意味があります
地球上で食べられなく飢餓に苦しんでいる人たちは
何億人もいるのです
そのような生活の中の柱を見失ってしまえば
人の体も精神も
そして心もまともな方向に行くはずがないと思うのです
その小さな過ちが集積されたものが
相撲界や神社庁そして皇室の中にも
徐々に浸透して
おかしな現象として現れている
そんな時を迎えている
日本の危機は
過てる小さな習慣から始まっていると思うのです
【小さな習慣】
肉体面については
こまめに手入れをしないと
駄目になるものも
多いですし
手入れをしている部分は
強くなっていくところが
あります
そして
その肉体の部分を
維持するには
一定の
「精神力」
が要ります
ここのところが
難しく
何かしら
運動を
続けられなくなるような
条件が出てきて
「今日はやめようか」
と思うことも
たくさんあるわけです・
ですから
「小さな習慣」
によって
自分を少しでも
ベターな方向に
変えていこうとする
努力を継続することは
意外に
大事なことなのだと
思います
それは
肉体的に
調子が良いか
どうかだけではなく
「精神力」
「意志力」を
鍛えることにも
なりますし
そうした
「精神力」
「意志力」を
鍛えることによって
何か知的な仕事
ないしは
自分自身の向上にも
それを振り替える事が
できるという事です
「肉体のコントロール」の
ところを
まめにするだけの
気力や根気がない人は
おそらく
勉強においても
同じように
根気がないだろうと
思われるので
そのあたりは
大事なところだと
言えるでしょう
HS
(老いて朽ちずp32)