おはようございます みなさん
強烈な寒波?
今冬最低の気温です
凍える~!!
早朝散歩のダウンジャケットも
もう一段厚いに替えて
手袋も厚くしました
外気はチルド冷蔵並
顔が寒い!耳が痛い!
とまだ
氷点下でもないのにこれではいけませんね
さて今日は
外気の寒さと同じぐらい
冷え込んでいる
現横綱白鵬と
元横綱貴乃花と
日本大相撲協会の三つ巴の闘いです
以前もブログに載せましたが
両者の相撲に対する
考え方や捉え方の違いは
両者相容れないものがあるのでしょう
方や
貴乃花親方は
古(いにしえ))より伝承される相撲のあり方
いわゆる神事から始まる相撲道を重んじる
正統相撲派とでも言える考え方
此方
白鵬はあくまでも勝ちにこだわり
スポーツ的感覚からの精神論を訴える
新鋭派の考え方
また
相撲協会側はやはり
今の相撲人気に支えられ
広く相撲を世界に広めようとするには
相撲道の中にもスポーツ的感覚が必要だとする
革新派とでも言えばいいのでしょうか
相撲の伝統を護りつつも
スポーツ感覚を取り入れようとする考えです
ガチガチの相撲道を重んじ部屋を営む
貴乃花親方にしてみれば
相撲は勝ち負けにあらず
「男が神前にその力を捧げるものだ」
神事とし
神聖なるものが根底になければならない
そして
相撲を通じて日本の伝統や
日本の美学を伝え守っていくものだ
という信念があります
横綱とは「力士の中で最も強い者」「相撲という格闘技のチャンピオン」である、と解釈されている方がおられることが残念でなりません。同様に、相撲は“日本古来の格闘技”ではありません。
相撲は“日本古来の格闘技”ではありません。相撲とは『神道』に基づき、男性が神前にその力を捧げる神事がその根源です。横綱に強さだけでなく、品格や厳格さが求められるのは、相撲が神事である証しといえるでしょう。横綱とは力士番付における最高位ではありますが、ただ勝ち星が多ければよい、他の力士に比べて力や技に勝り、誰よりも強ければそれでよいという存在では決してありません。
貴乃花の「相撲道」(抜粋)
詳しくは以下に書かれています
これに対し
横綱白鵬は
強いものこそが一番であり
時代を変えていけるリーダーになるべきだ
今後世界に通用する相撲というスポーツを
広げていかれる要素は
横綱の強さにあると考えているのでは
ないでしょうか
実際に聞いたりその考えを
表に出したりしてはいないので
想像の域を脱しませんが
白鵬の相撲を見ていると
貴乃花親方が言うような
横綱相撲とは言えない
ただ勝ちを目指すだけの相撲を取っています
横綱相撲はやはり
相手をまず受け止めてから
自分の力量で相手の力をねじ伏せる相撲であり
横綱の地位は相撲の神様から頂いたもの
まず対峙した相手を受け入れるだけの
心と技と体で勝負することにあるのだと思うのです
白鵬の相撲はただ勝ちに行っているだけ
平幕の力士の相撲と変わらない
相撲の取り口のように見えます
猫じゃらしなど繰り出す横綱は
神様の前ではちょっとと首をかしげてしまいます
また
土俵際でもうすでに勝敗が決まっているにも関わらず
土俵下にまで念押しのように突き落とすなど
そこまでの必要があるのでしょうか
相手を思いやる横綱であれば
勝負がついた瞬間を見極め
相手が怪我をしないように
手を添えるぐらいの心が
有っての横綱だと思うのです
強い横綱も結構ですが
その勝ち負けにも美しさと言うものがなければ
男同士が裸でぶつかって血を流して戦う
タダの格闘技になってしまいます
一方
(財)日本大相撲協会は
大相撲の人気を非常に気にしています
人気がないと相撲の醍醐味も広く伝わらず
やはり
人気は力士や協会の組織などを支える
大切な要素です
最近は外国人力士も増え
世界的な人気も高まっています
その中には
ショー的な要素も取り入れ
スポーツ観戦の如く勝ち負けにもこだわり
誰が優勝するかを解説者もゲストも交え
予想しながら必死で人気を高めようと努力しています
そこに水を指すのが
賭博事件や暴力事件などの
力士や相撲部屋の不祥事
今回の事件も少なからず影響を受けるでしょう
特に今回の暴力事件は
現役横綱でモンゴル人同志によるもの
そして
その暴力の発端になっているのは
直ぐ側にいた横綱白鵬にも疑惑がかかっています
その上に
相撲道のあり方で対立している
協会側と貴乃花親方の対立が絡んでいます
複雑な図式が展開しています
今後の相撲界や大相撲の行く末はどうなるでしょう
伝統の相撲道を貫くか
スポーツとしての要素をさらに広め
価値や勝ち負けのあり方をスポーツのように捉えるか
また
そうではなく
まったく新しい形態を確立していくか
大きな岐路に立っているように感じますが
皆さんはどう思いますか
参考に大相撲協会の定款にはこのよう文言があります
定款第3条(目的)には、「この法人は、太古より五穀豊穣を祈り執り行われた神事(祭事)を起源とし、<b>我が国固有の国技である相撲道</b>の伝統と秩序を維持し継承発展させるために、本場所及び巡業の開催、これを担う人材の育成、相撲道の指導・普及、相撲記録の保存及び活用、国際親善を行うと共に、これらに必要な施設を維持、管理運営し、もって相撲文化の振興と国民の心身の向上に寄与することを目的とする。」
本来大和魂の真髄である
国技としての相撲道は
今後日本という国が続く限り遺して欲しい伝統です
柔道もオリンピック競技となり
スポーツ感覚が強くなっている昨今
侍魂を有する相撲を今一度習い直して
男同士の力を競い合う中にも美があるという
潔さや相手を重んずる古来よりの大和の心を
大切にしていきたいと思いました
【「人望が上がってくる人」とは】
リーダーになっていく人には
欲望
あるいは
強い本能があると
述べました
しかし
そうしたなかに
「私欲」の部分を
できるだけ抑制し
「公の欲」というか
「公の利益」のために
あるいはみなのために
自分の力を
使おうとする人が
一部いるのです・
やはり
「本人が
怒りの心のままに
言っているのか」
「その言葉の奥に
『他の人たちを生かそう』
という気持ちや
愛の気持ち
利他の気持ちが
入っているのか」
という違いは
感じるものなのです
したがって
本来
このくらいは
あるだろうと
思われる
「私欲」の部分を
少しでも削り
「利他の気持ち」に
置き換えていく
修練を
積んでいる人は
次第しだいに
人望が上がっていきます
逆に
立場が上がってきたときに
利他の気持ちが
減ってきて
自分への欲望というか
自己実現欲のほうが
拡大しすぎると
だんだんに
人の気持ちが
離れてくるような
ところも
あるわけです
HS
(新刊『経営と人望』p178)