おはようございます みなさん
世の中物騒で
嫌な話ばかりが耳に入ってきますね
今日は思考を変えて
少し芸術的な話を
取り上げたいなと思います
以前キャンピングカーで生活をしていた時
キャンピングカー仲間でサークルを作り
みんなで一緒にキャンピングカー専用の
キャンプ場や公園に出かけていき
数台のキャンピングカーが勢揃いして
楽しいサークル活動を行っていました
その時のサークルの名前が
浮世絵の「写楽」との掛け合わせで
(当時写楽ブームだったので)
「車楽」と名付けました
キャンピングカーはほんとにキャンプするのに
「楽な車」で
景色のいい公園や
気がねなく止められる駐車場があれば
そこが我が家となり
その景色が我が家の庭となってしまうのです
この「写楽」と「車楽」に取り憑かれ
洒落(しゃれ)ではありませんが
4年もキャンピング生活をしてしまいました
その時は自由に出来る
お金もたくさんあって
ヨットも所有していて
写楽にかけて
写楽の絵をセール(ヨットの帆)に描いたりして
楽しんでいたのですが
この時の「東洲斎写楽」大谷鬼次の奴江戸兵衛
「喜多川歌麿」ビードロを吹く女
「葛飾北斎」富獄三十六景の大波
などのの浮世絵にも
陶酔していた頃でした
ただ写楽の画風だけが
他のと少し違う
と言うか
同じ人間が書いたにしては
随分画風が違うのです
そして
写楽自体がどこの誰か
まったく分からず
正体不明のまま
わずか10か月の短い間に
役者絵その他の作品145点余を版行したのち
忽然と姿を消した
謎の絵師なのです
一説によると
わが故郷徳島
阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者である
通名は斎藤十郎兵衛
とされていて
実際に徳島には「写楽」のお墓まであるのです
確かにさい・とう・じゅう”(斎・藤・十)で
東洲斎写楽の
ペンネームを付けたのかもしれません
このことがNHKアーカイブで先日放映されていて
NHK特集
『池田満寿夫推理ドキュメント 謎の絵師・写楽』
(1984年、日本放送協会)
これを観て昔のキャンピングカー生活を思い出し
写楽の画風を再び考え直さされたのです
池田満寿夫の推理はなかなか面白く
感じてたように画風が3~4回変わっている
同じ人間が描いたとは思えない
最初の頃が一番素晴らしいというものでした
そこで
写楽素人説を説き
大谷派の能役者が歌舞伎の宣伝のために
絵を書き版を刷って
配っていたものだというものでした
画風が変わるのは何らかの理由で
書き手が変わり
写楽の名前はそのまま使っていいたということでした
その頃の絵師はそれ程の地位でもなく
今でこそ浮世絵が海外に渡ってから
その価値が見出され
まるで発掘されたようなものと
なっていますが
当時は普通の歌舞伎の宣伝用の
版刷りだったのでしょう
ですから素人で絵の上手いのが
たまたま
能役者の斎藤十郎兵衛であり
東洲斎写楽のペンネームで
描いていたのではないでしょうか
しかし
このような浮世絵の芸術作品は
当時は食いつなぐだけの
職業で上手い人が
長く浮世絵を描き
後に芸術として認められるなど
夢にも思っていなかったのでしょうね
この写楽の絵に描かれているのは
人物画像ばかりで
役者の特徴や芝居の醍醐味などが
実に巧みに伝わってくる
よほどその人間や役者を研究し
観ていないとここまでの
画風は残せないでしょう
人間的にもかなり
清らかで素直な感性を持っていた人だと
思いました
【総合的人間学】
自分自身が
本当に見えてくるためには
他の人への関心を
持っていただきたいのです
他の人への関心を
断ち切ることが
悟りへの道だ
と思う人も
いるかもしれませんが
残念ながらそれは
本道ではないのです
悟りへの本道は
人間への関心ということを
無視しては
成り立たないということです
他人への関心
これなくして
悟りへの道はありません・
‥‥本当の悟りの道は
小乗から大乗への
道であります
自己確立から
他の人へ愛を与える
行動への
このプロセスであります
これが悟りの本道なのです
そして
この「他への関心」は
決して傍観者としての
関心であってはいけない・
‥‥単なる
評論家であってはいけません
他への関心は
必然的に自分に
返ってくるものでなければ
ならないのです
他人の姿を見
その行いを見
心を見ることによって
自分自身はどうであるか
ということを
振り返る材料とせよ
と言っているのです
ここに
自己の向上の原理が
あるのだと
言っているのです
HS
(悟りの発見p146)