おはようございます みなさん

 

 

日野原重明さんが18日に亡くなりました

聖路加国際病院名誉院長105歳

3月下旬から自宅療養を続け

10日前から流動食しか受け付けなくなり

療養中は周囲に「ありがとう」と言葉を掛け

最期は「苦しまず安らかに眠るように亡くなった」といいます

 


度々TVで拝見し

「年寄りくさい動きは

首が回らず体全体で振り向くこと」

と言って

100歳の体で首だけを動かし振り向いていました

 

私はなるほどと思い

それ以来

体の動きに気をつけ毎日ラジを体操や

首の運動をするようにしました

お陰で以前は

付かなかった屈伸運動での手が

掌までピタッとつくようになりました

 

日野原さんは生涯現役を強く望んで

病床に就く3ヶ月前までお勤めだったようで

本当に頭の下がる思いです

 

最期は食事が流動食になり

院長が3月20日にチューブで胃に栄養を送る胃ろうを勧めると

「それはやらない」と明言したそうです

 

当然延命治療は拒否し

『死とは生き方の最後の挑戦』の言葉通り

自分の生き方に挑戦しながらの最期だったようです

 

140冊もの著書があり

経験なクリスチャンでもあり

「現代医学と宗教」という本も執筆されています

「成人病」などと曖昧な言い方だった言葉を

「生活習慣病」に変えたのも日野原先生でした

 

日野原さんは1970年

赤軍派のメンバーにハイジャックされた「よど号」に乗り合わせ

機内に一時拘束された経験から

その後は残された自分の命は

社会のため

人のために

使うのだという使命感が強くなったといいます

 

まさに宗教的なバックボーンがるがゆえの思いですね

 

まっすぐ天上界にお還りなっていくことと思います

本当にご苦労様でした

私たちに生きる指針を与えてくださりありがとうございました

 

 

 

<div style="text-align: center;"><b><font color="#0000fe"><font size="5">【従順】

 

 


信仰において

まず大事なことは何でしょうか

 


それは

「従順」

ということです

従順とは

「自我を振り回さない」

ということです

 


幸福の科学の会員であっても

自我を振り回して

「ああだ こうだ」

と細かいことに

自分なりの判断をしたり

さまざまなことで

活動を混乱させるような人が

いるかもしれません

 

そういう人に対する

あなたがたは

「それは本来の宗教者の態度ではない」

ということを

教えていただきたいのです

 


「仏や神

あるいは主の教えに対して

従順であること

そして服従すること」

という教えは

近代的自我を

備えている人にとっては

非常に辛いことでしょう

 

しかし

これを受け入れることは

大きな大きな修行なのです

 


小賢しく

自分を護ろうとしたりするのは

愚かなことです

 


もっと心を開いてください

 


そして

受け取ってください

その

「心を開く姿勢」

のことを

「従順」や「服従」という

古典的な言葉で説明したわけです

 


信仰心において美しい人は

絶対の真理に対する愛を持っていて

真理に対し従順であり

それに服従し

敬虔な姿をとっている人です

 


あなたの不幸をつくっているのは

神でも仏でも主でもない

 


あなた自身である

 


あなた自身の愚かな自我である

 


愚かな迷いである

 


無明である

 


間違った考え方を粉砕せよ

 


なぜ信じないのか

 


自我に基づく

さまざまな

小賢しい考え方を捨てなさい

 


従順さ

謙虚さ

服従

敬虔さを学びなさい

 


そのときに

主への絶対の愛と同時に

絶対の幸福が必ず現れてくるのだ

 

 

 

 

 


HS

 

(君よ、涙の谷を渡れ。p71)

 

◆最後は、信じる以外に道はありません。小さな蟻が太陽と戦って抵抗しても、どうにもなりません。
◇主の教えに従順になる
> be obedient to the Lord 's teachings

 

 

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