おはようございます みなさん



今日は雨が降っています

ここはそうでもないですが

場所によっては激しい雨が降ってるようです

夜には気温も下降するようです



気候がコロコロ変わるのも今のシーズン

なんだか人の心を表しているようですね



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明日は春分の日です

お彼岸にご先祖をご供養されている方もいると思います



さて

その供養の思いや考え方は間違っていませんか

お彼岸はもう一度供養の意味を考えてみる機会です













生きている人間にとって

自分自身をまったく振り返る必要のないような

考え方や教え方によって

先祖供養をやっていませんか



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「あなたの不幸なのはあなた自身の責任ではない」

「それは先祖が迷っているからだ」

「三代前の人がこうなったからだ」

「こういう人が祟っているからだ」






こういう考え方があります






天国・地獄を分けるのは簡単です

自分で自分の間違いを正せるか

すなわち自分の責任を認められるか


それとも

自分の責任と思わずに

人のせいや環境のせいにするか







選択肢はこのふたつです






そして

自分自身の責任として

反省をし

努力をして

自己改善できる人は

絶対に地獄には落ちないのです






ところが

人のせいや環境のせいにする思い出来ている人は

結局

自ら積極的に

地獄というものをつくり出している

張本人でもあるのです





ですから

先祖供養したいという心そのものは

愛の心でありますが

先祖が祟っているから

自分は不幸なのであり

これさえ切ってしまえば

幸福になれるというような心は

愛の行為の真逆になり

本当の先祖供養の心ではありません






HS参照









先祖供養は自分の今の状況を先祖のせいにするような

そのようなものではなく

本当の供養は先祖に安らかなれと願う心




通常人が亡くなった時には

ゆっくりお休みくださいとか

ご苦労様でしたとか言うはずです




それを亡くなった先祖方々が

迷っているとか祟っているとか

先祖の方々のせいにするのはおかしいですね








供養とは亡くなった人に対して真の心を捧げることであり

自分を何とかして欲しいという思いで行うべきではないのです




本当の意味で先祖を思い供養の気持ちを手向けたいものです