こないだ市街地を通っている時の事。
地元の大学病院の前で信号待ちした、
去年亡くなった知人のお見舞いに良く通った病院。
以前ブログにも書いていました。
毎月、抗がん剤治療で入院していた。
親も居なくて、病気で家族もバラバラになってしまい頼れる人も少なくて、時々荷物や本や郵便物届けに行ったり。
あまりお見舞い来る人も居なくて、寂しそうだったから放っておけなくて時々様子を伺ってた。
去年、絶望の中で父のセカンドオピニオンに初めて行った病院もここ。
あれから1年以上経ち、知人は亡くなり
お骨になってお墓の入ったけど今も私や父は生きている。
父は最近、病気の告知された期間を過ぎて生きる事に対しての気持ちが変わってきた様子。
『元気に生きれる』様な感覚の病気をする前から脳腫瘍と診断されて
『今を生きる』にシフトされた様に感じる。
手術から1年経って父が
「これからは1日生きれて儲けたって思ってお互い頑張りましょう」
って病気の友達と電話で話していた。
退院後の頃には全く出てこなかった前向きな言葉。
『ずっと元気に生きれる』保証なんてみんな無い。
『今を生きる』にシフトしたらきっと
『今が大切』とか
『今が楽しい』とか
『今が幸せ』とか
『今』に集中出来る様な気がする。
なんかそんな事思わず生きてきてた頃は
『生きる』事は普通って感覚で周りで亡くなった人に教えられた『生きる』のいろんな意味。
亡くなった大切な人が、
今も教えてくれる事が多いなぁと感じます。