日曜日にすみません!

ちょっと堪えきれず、ここに書かせてください。

 

娘の小論文がひどい!

こんなにひどいとは……。

 

定期的に習いごとで公式のレポートを書いているし、今までの作文や感想文も悪くはない評価だったので、あまり本気で娘の文章について考えたことがありませんでした。

まあ、書けば書けるんだろうな、と。

わたしも夫も職業の一部に書くことが含まれるので、娘にそのレベルを求めても仕方ないため、逆に見ないようにしていた、という背景もあります。

そのうち娘が思春期に入り、書いたものを恥ずかしがって見せなくなり、学校の評価だけで安心して現在に至っていました。

 

習いごとのレポートは公に出るものなので校正してあげていたのですが、もともとの流れがあるものを文章にしているだけなので、原稿は修正で真っ赤っ赤になるものの、ブロックの組み替えや新しい要素の入れ込みなど大工事になるような赤は入れていませんでした。

また書くのが嫌いになっても仕方ないと思っていたので、主語が2回出てくるような駄文でもあまり責めず、目のつけどころやキャッチーな言い回しなど良いところを見つけて褒めていました。

 

それが間違いだったのかもしれません!キー!

 

小論文は、作文や感想文のように感性だけで綴り、その煌めきだけで賞が取れちゃうようなものではありませんでした。

娘の適当さが思い切り前面に出てしまっています。

 

小論文という本人の強い意思や考えを求められる文章が、お花畑で花束を作りながらつぶやいている独り言かな?というぐらい、ゆるふわなのです。

「●●だから□□である」という定義づけも「空は青くて綺麗ですよね。だから青い海も綺麗なんです」みたいな、「え?それ全然、定義できてないけど?」と小一時間正座で問い詰めたい雑さ加減。

そういう耳障りの良いだけのセンテンスがゆるーく編まれた穴ぼこだらけの風を通しまくりセーター状の小論文を目の前に、こんこんと説教をしてしまいました。

 

・コンセプトがはっきりしていない。

・展開がキレイなフローになっていない。

・提示されている定義が曖昧。

・最初に打ち上げた問題の回収ができていないまま尻切れトンボで終わっている。

・求められている質問に自分の課題をチューニングして応えきれていない=課題に向き合えてない。

 

正論の大魔神と呼ばれるわたしの激しい追及に、娘は臨界点に達してしまい、死んだ魚どころか更に日に干され干物になった魚の目のようになってしまったので、これではいけない、と慌てて良いところを探してみました。

 

・良いところは、着眼点。

・切り口が毎度、新鮮。

・自分勝手に言いたいことはたくさんある(笑)。

・文章にユーモアがある。

 

うん。マッチポンプですが、習えば直せるところが悪くて、得難い良いものは既にを持っているような気がしてきました。

いや、そう思っていかないとやっていけない。

(これがまた習えば習っただけできるようになる子ではないことは、そっと横に置いておこう)

 

本当、いつもながら意外なところに落とし穴があって怖い怖い……。