最近、娘が3つほど驚きの発見をしたようです。
ひとつめ。
●英語の長文読解問題って、全部読むものなの?
夏休みのある日、ふとGTECの小冊子を見つけパラパラと見ていたら、長文読解の問題にわたしの知らない単語がたくさん。
「いつのまにかわたしの英語能力を超えちゃって……っ(数学と理科はとっくに超えられていますが)」と感涙にむせびながら「ねえねえ、□□って単語、どういう意味?」と文章の意味を知りたさに問うてみたところ、返ってきたのは「えー。知らなーい」
「じゃあ、◯◯◯は?」と聞いてみても「聞いたことなーい」
えーと、この問題解いているよね。
小冊子を突きつけてみると「あ、わたしね!長文読解は長文だけに全部読むと長くて時間がかかるから読まない派なの!問題見て、その答えが載ってそうな箇所を見つけて答えを探っていくような、そんな感じで!」と、長文読解を解く秘訣を教えてくれました。
いやいや、それ全く秘訣じゃなーい!
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というわけで、夏休みは地獄の長文読解行脚となりました。
毎日、ひとつずつ長文読解を読んで全部訳す。
簡単な長文だとナメてしまうので、大学受験用の少し背伸びした問題集を選びました。
字を書くのが面倒な人なので口頭でどんどん訳す。
文脈を/で区切りながら読む。
主語が相当長い時には四角く囲む。
内容はほぼほぼ合っていても、雰囲気だけで意訳を繰り出してくる娘に、答えの訳を見ながら「え?それ主語が違ってない?文章の構造まちがってない?」と指摘しながら、まっすぐ素直に和訳させて10日ぐらい。急に訳するのが楽になったそうでスピードも格段にアップしました。
その10日間の「長文読解やだーん。めんどくさいーん(プチきれ)」な不穏さはたいへんたいへん面倒でしたが、長文という目の前の霧が晴れてからはとても嬉しそうした。
ふたつめ。
●数学の式を書くのっていいね!
娘の学校、数学は修練度別のクラスになっています。
最近、そのクラスの中でグループを作り、ひとつの問題を解いてみんなで式を見せ合うという授業があったそうです。
小学生時代から「式を書きなさい」と何度言っても聞かず、「書いても読めない字だから」と筆算と暗算だけで乗り切った娘ですが、その授業では式を書かないことにはグループ全体が次の問題にいけず、しぶしぶ書いたところ、先生に間違えていても「部分点、◯点あげられるね、これ!」と言われ喜びのあまり、前記のセリフと相成りました。
部分点!小学校の時からずっと言っていたよね!塾の先生も言ってたよね!
それでもやっと先生に目の前で式の一部に丸してもらって腑に落ちたのでしょう。
それからは式を書くようになりました。中3で!二度書きますが、中3で!
みっつめ。
●選択問題ばかりの科目は勉強しないほうがお得。
娘の学校では、テストの内容がほぼ選択問題の副教科があります。
で、娘が出した結論。
わからない問題が4択だとすると、適当に書いても正答率は1/4。
つまり何も勉強していかないで試験を受けて、問題の2割(20点)しかわからないとすると、残りの8割(80点)のうち1/4の2割(20点)は正解して100点満点中40点がとれる。
でもしっかり勉強して8割(80点)わかっているとすると、残りの2割(20点)の1/4の5点しか当たらない。
となると、わからない問題が正解する点数は勉強してない子のほうが15点もお得ってことになるじゃない?
そう言い切った教科が学年下位10位だったという恐ろしい事実を前に「お得とかお得じゃないとか、そういう問題じゃなかったね」と照れていました。
娘と話していると、いちいち「そうくるか!」ということが多くて目からウロコです。
そう考えていると、小学校の時も言語化していなかっただけで、いろいろ考えた末に「勉強しない」という選択をしたのか、とすら思えてきます。
さて、これから大学受験までの3年間、みんなが中学受験の時に当然のように思い至れていた発見が幾つあるのか。
それを聞き出してクリアできるのか、だいぶ母娘のコミュニケーションにかかっているな、と思いました。
そんなコミュニケーションの一環として夏休みは娘の聖地巡礼および壮大な伝統工芸ワークショップに、おニューのリモワを引っぱって各地へ旅行に行きました。
軽井沢でゆっくり〜♪は宿題合宿で使いすぎてしまったせいか今年の夏はお断りされてしまって、ちょっと残念。
でも秋には金沢に推しの展覧会とワークショップに行く予定です。楽しみ〜。
