お正月のあいだ、青い空を見て思い出していたのは、夫のクルマで埼玉校を見に行っていた時のことでした。

その時も空は真っ青。空気も澄んでいて富士山もクッキリ見え、幸先は良し!というような気分でいました。

 

ところが余裕を持って挑んだはずの初戦からして、後ろの席の子が大暴れをしたせいなのか、実力なのか、黒星。

そこからズルズルと黒星が続くと思いきや、受験しに行った学校でお姉さんから「ここに並んでいるだけでエライんだよ」と頭をなでてもらったそうで、そこからはフワッと気持ちが浮上したように思えます。

 

娘が小学生までの我が家はたいてい夫のクルマで移動することが多く、遠くにふたりで電車に乗って行く、ましてや早起きしてどこか行くなんて経験はなくて、それゆえ旅行気分で、今思えばちょっと浮かれた日々でした。

埼玉の駅のターミナルで買った卵のお菓子は今も娘の大好物。

引っ越してでも通いたいと思える学校(簡単に言うとSSH指定校の附属)が1月中にどうしても欲しくて、千葉校までもつれこんだその帰りには、映画を観たり、お友達のパパが応援に送ってくれたGODIVAのLINEチケットでホットチョコレートを飲んだり、お洋服を買ったり、小デートのようでした。

 

娘いわく「結果はともかく、とっても楽しい1月だった」そうです。

 

しんしんと寒い朝、誰よりも早く起き出して、子供がなんの憂いもなく1日を過ごせるように、消化の良い朝ご飯から始まって、受験票や筆記用具、常備薬、ドリンク、おやつなどの持ち物の支度、体温調節しやすくて苦しくない服装、歩きにくくないように慣れさせた暖かい靴、くずれない髪型、お昼ご飯の手配まで心を配り、そして試験会場に送り込む時の泣きそうな気持ちは、正直、自分の受験の時よりもずっと深く濃く強く体に刻まれるものでした。

 

(正直、わたしの中学受験の時の親はもっとずっと雑だった。

大学受験の時は友達と発表を見に行って、親に合格の連絡するのを忘れたままパーッと遊びに行ってしまい、帰って怒られたほどわたしも雑。

時代そのものが大雑把だったのかもしれません)

 

楽しくて、苦しくて、それでもまだ本番は先という、まさに狂騒の1月。

 

娘には毎回、声がけしてきたのは「試験を楽しんでおいで!楽しめたら、それだけでお母さんが合格あげる!」でした。

 

その代わりわたしも試験を待っている間、夫を呼んで初見の土地をドライブしてもらったり、別の学校で受けているママ友と中間地点で待ち合わせてフードコートでお茶をしたり、駅舎や知らない植物の写真を撮ったり、kindleにダウンロードしておいた本を読破したりして楽しみ、その報告を娘にして、娘から待ち時間の過ごし方に合格をもらったりしていました。

 

すんごくきつかった。今でも思い出すと震えがきそうにきつかったです。

たぶん勉強から逃げて逃げて逃げまくっていた娘も、とうとう本当に逃げられない日がやってきてきつかったと思います。

でも、そのきつさは見なかったことにして、合否は問わず、逆に最後の20日間にやっとやる気が出た娘に乗っかって、学び、楽しんだ1月でした。

 

真っ暗やみな気がしたけど、苦しかったけど、不安だったけど、合否も今ひとつだったけど、喧嘩もたくさんしたけど、でも、2年たった今だから思うのは、中学受験前の1月こそが娘と過ごしたなかで最も濃密だった時間かもしれない、ということです。

 

この1月が、後からフワッと光る思い出にできますように心からお祈りいたします。