赤坂真理さんの「ヴァイブレータ」を読んだ。
この作家さんの「東京プリズン」が、紫式部文学賞を受賞されたので読んでみたら
他の作品も読んでみたくなったのだ。
本の内容は簡単なあらすじとストーリーの展開なので、凄いクライマックスがあるわけでもない。
物書きをしている主人公「玲」(30代女子)は、自分の中の声に悩まされ、アルコールと食べては吐くという行為に溺れていく。
ある時、コンビニで出会ったトラッカー「岡部」に、『道連れにして』と言って長距離トラックでの旅に出る。
物語の展開は、この後ほとんどトラックの中。
トラックの振動(ヴァイブレータ)、移り行く景色、岡部との会話(彼は10代の頃、暴走族、シンナー、ヤクザ、ホテトルのマネジャーなどをしていた。)、そしてセックス。
必死に岡部をさわることで(全身を毛穴にして。全身を使って彼を吸い、彼を食べ、全身を舐められ、全身を吸われ食べられた・・・引用)玲は救われていく。
でも自分の中の声は、言葉の隙間を縫うようにやってくる。
最後は、岡部の「運転してみる?」の言葉で、トラックを少しだけ運転する。
運転しながら玲はふと、帰ろうと思う。今は聞こえない「声」はまた聞こえだすかもしれないけど、
それも受け入れ、少しだけ前にすすめる気がした。
(ただあたし自身がいいものになった気がした。・・・引用)
この本を読んで、一番感じたことは、痛い・・・・・心が痛い・・・・・
自分が、アルコール中毒でもないし、食べて吐くときに体内から放出されるエンドルフィンに恍惚となっているわけでもない。会ってすぐの人とセックスするわけでもない。
自分の中の声も聞こえないはずだ。
なのに、どこかに自分を重ねてしまう。玲にシンクロしていく。・・・・そして、痛い・・・・
後書きの中で、「この本には私のことが書いてある」という声がたくさんあると書いてあった。
映画化で、玲役をされた寺島しのぶさんもその中の一人のようだ。「玲」は「私」。
玲は、世間一般の普通の女性の象徴で、この本はそういった私たちの心の奥底にそっとしまっているものに直接振動(ヴァイブレータ)を与える本なのかもしれない。
