あぁ、タイトルをつけ忘れ・・・笑* -3ページ目

道理と同義



私が不純なの
不順なの。

好きも嫌いも愛も恋も、
不順なの、順不同

どちらが先でもいいけれど
どちらもないとダメなのかも

私は不純で不順なの。

なにしたってどうしたって
大切なものは大切だし
好きなものは好き。

一生かけても守りたい夢より
目の前の幸福を選んでしまうほど
大切にしたいものは大切だし
好きなものは好きと言いたい

だけどね、それはいけないことと
言われてしまったら、、、
いいえ、いけないことと言われなくても
私は不純で不順なの。

好きも嫌いも愛も恋も、
どちらが先でもいいけれど
どちらもいっぺんにはくれないの?
どれが先なのか決められてるの?

私は不純?
不順なの…





iPhoneからの投稿

好きの理由



好き


好きに理由はないと、言いますが
それはなぜ?となることもある

何が、どんな風に?

と、クレヨンの歌もそう。

どんな風に?いつから?
と、子どもに聞いたって無駄である。

その答えは、何かを積み上げてきた
人間でないと答えられない。
大人とまでは言わないまでも、
ある程度ものを考えてきた人、

で、なんで「すき」に理由がないか、
それは、すきということが、答えであり理由なのだと。



何かを始めるとき、
人と本当に解り合おうとするとき

脳ではなく、心で聞き、話、選ぶことが大切。

こうして、ああやったら、こうなった。
ではなく、こうしてたらこんなふうな気持になった。
の方が、断然大事。

出来事より、その時あなたの心になにが浮かんだのか、
どんな気持ちになったのか、
それを、心の声をしっかり自分の耳(脳)で聞き止めて
それから、客観的に分析することが大事。

気持ちを置いてきぼりにしてはいけない。


すき とは、れっきとした感情だ、心の声。

お腹すいたとか、寂しいとか嬉しいとか、そんなのと同じ。

なんで?って、
なんでお腹すいたの?って、
それは食べてないのか、脳のエラーなのか、
色々と因果関係をたどることはできる。
でも、なんで食べてないとお腹が空くの?という
新しい疑問がでてくるように、
感情に理由を求めたらいけないのだ。

だって、心がそういうのだ。
聞いてあげなくちゃ。まっすぐに。

好きもこれと同じだ。

なんでことさら、人は愛だの恋だのいうと
深く深く、神聖なもののように考えるのだろう。

かんたんなこと、心に聞いてみればいい。


私はこれで納得できた。
納得できない人もいるでしょう。

でも、私の心はすっきりした。これでいいのだ。

ぴきっ



わたしが好きになひとは

年上なのだけれど。。。

それも、けっっこう上なのだけれど


もしかしたら、それがいけないのかも?




おもっきり感情だせる相手って
同世代なのかも。

大人には、大人の顔で

と生きてきた小さなももこさんは
難しいのかな。