
①「ミッテランの帽子』を読んで 1980年代のフランスの大人のおとぎ話
アントワーヌ ローラン 著 吉田洋之 訳
舞台は1980年代のフランス。偶然レストランでミッテラン大統領の隣席になった主人公。大統領が忘れた帽子を失敬したことから物語は始まります。ちょっとしたことが大きな変化や決断を促すことがある。1つの結果を見届けたら手から離れていってしまう帽子。それでいいと思う人と絶対取り戻そうとする人。パリのレストランで一人で夕食を取った際、Daniel Mercier は偶然、フランソワ・ミッテランの隣のテーブルになる。 食事を終えミッテラン達が店を出た後、帽子が忘れられていたのに気づいた Mercier は、こっそりと帽子を持ち帰る・・・
1980年台のフランスを舞台に、FMのイニシャルの入った帽子を軸に展開するロンド形式の連作短編小説。
目の出ないキャリアを歩んでいる管理職、未来のない不倫の関係を断ち切れない独身女性、精神分析医のカモの調香師・・・等の、帽子を手に入れた男女が、気づかずに自らを縛っていたルーチンを打ちこわし、行き詰まった人生に新たな道を切り開いていく様が描かれて行く。
この本を読むと、一部のフランス人にとっては、故フランソワ・ミッテラン大統領というのは、特別な存在だったのだなぁと思い知らされる。 主人公は後半帽子に恐るべき執念を燃やしますが、実はその上がいた。より静かにより綿密な追跡。ラストには驚き、それまでのふわふわした
②『逃れる者と留まる者 ナポリの物語3』を読んで イタリアの現代史をリナとエレナが駆け抜ける
エレナ フェッランテ 著 飯田亮介 訳
婚家を出たリラは、工場で働きながらコンピューターを学ぶ。一方エレナは、学生時代からの恋人と結婚して子供を儲けるが、しだいに夫との溝を感じるようになる。そんな折、彼女は初恋の相手と再会し……米HBOドラマ化の世界的話題作、急展開の第三巻登場!
第3話は 失業率の高いイタリア。組合運動やイタリア共産党が台頭。エレナはナポリを離れ小説を・・・・娘を育て。リナはナポリに残り食肉加工場からコンピューターの(インターネット時代前)プログラマーへ・・・・息子を育て。二人の交差する関係に変化がソラーラの兄弟の勢力は拡大して・・・恐怖の力が。時代は進み。ナポリを離れたエレナがソラーラ兄弟の親戚関係・・・へ。物語は続きます。ますます面白くなりそうですね。

③『トリック 』 第二次大戦を生き延びた奇術師と家族再生を願うユダヤ人少年の友情物語
エマヌエル・ベルクマン/著、浅井晶子/訳
20世紀初頭のプラハで生まれ稀代の奇術師となるモシェの物語と、21世紀初頭のロサンジェルスに住み両親の離婚に悩まされる少年マックスの物語が、ともに惹き込まれるおもしろさで同時進行する。ユーモアにあふれ、丁寧につむがれた物語を読み進むうち、人はみな、特別の奇跡を生きているのだと気づかされる。背景に描かれるのはホロコーストだが、過去と現在を自在につなぎ、過去の悲劇がもう遠い歴史としか意識できなくなった世代に、その重要さを説教臭ゼロのまま悟らせる作者の、それこそ奇術師のような鮮やかな腕に魅了される
1934年、プラハのラビの息子が巡回サーカスに加わり、魔術師となり、ヨーロッパが第二次世界大戦に陥るのと同じように舞台の名で「グレートザバティニ(モシェ)」と名高くなりました。 ザバティニ(モシェ)がユダヤ人であることが発見されたとき、彼の送られた強制収容所を生き残るための唯一の希望は、魔法のトリックでいっぱいの彼のボロボロなトランクになります。
70年後のロサンゼルスで、10歳のマックスはザバティニが彼の最大のトリックを実行するのを捕らえたスクラッチアップLPを見つけます。 しかし、ザバティニ(モシェ)が彼の愛の呪文 - マックスが彼の崩壊する家族を一緒にしておくと信じている呪文 - を実行するトラックは、修復を超えて損傷を受けています。 解決を切望して、マックスは今年配の、冷笑的な魔術師を探して、そして彼の両親に彼の魔法を実行するように彼に頼みます。 二人がありそうもない友情を育むにつれて、モシェはマックスと彼の家族が戦争中にグレートザバティニ(モシェ)が経験した暗い、暗い日に驚くべき関係があることを発見した。
現代ユダヤ人の少年と第二次世界大戦を生き延びたプラハ生まれのユダヤ人マジシャンのおとぎのような友情物語です。
④『カルカッタの殺人』 インド独立前夜のカルカッタで起きた事件に挑む英国人警部とインド人刑事部長
アビール・ムカジー著/ 田村義進訳
ドイツとの戦争で妻を失い生死を彷徨いすべてを失ったエリート英国人警部と、優秀ながらインドの独立を夢見て出世より警察官の道を選んだインド人刑事部長のコンビが、カルカッタのブラックタウンの娼館近くで惨殺された英国人政府高官の事件を捜査する。
インド東部最大の都市コルカタは、2001年まで英語読みでカルカッタと呼びならわされていた。
1919年4月、そのカルカッタに、生きる望みをなかば失ったひとりのイギリス人がやってくる。サム・ウィンダム。年は30代前半。かつてはスコットランド・ヤードの犯罪捜査部で鳴らした敏腕刑事である。1914年の夏、第一次世界大戦が始まると、志願して、フランス北東部の最前線に赴く。ドイツ軍との熾烈な塹壕戦で、仲間たちが次々に死んでいくなか、なんとか3年半もちこたえたが、終戦直前に被弾して生死のふちをさまようことになった。そして、ようやく死地を脱したとき、最愛の妻が流行(はや)りの病で死亡したことを告げられる。それ以来、モルヒネと阿片にのめりこみ、鬱々として淪落の淵に沈んでいた。
そんな折り、かつての上司からインドの警察で働いてみないかという誘いの電報が入る。故国イギリスですべきことは何もなかった。未練もなかった。それで、新天地をめざした。
そこで知りあった最初のインド人が、若い部長刑事サレンドラナート(イギリス人には発音しにくいとのことで、サレンダーノットと呼ばれている)・バネルジー。カルカッタ屈指の名門の出で、ケンブリッジ大学を出ているが、エリートコースを歩むことを拒否して、法執行機関の一員として働くことを決意する。帝国警察の採用試験ではじめて上位3名に入った秀才である。強い正義感を持ち、女性と話をするのが大の苦手というシャイな好青年でもある。
片や、生きるのに倦み疲れた、経験豊富なイギリス人刑事、片や、理想に燃える、新米のインド人刑事。そのふたりがインド帝国警察の上司と部下としてタッグを組む。
そして、いきなり出くわしたのが、イギリス人高級官僚の惨殺死体である。いまにも崩れ落ちそうな荒屋(あばらや)が立ち並ぶインド人居住区の一角で、その男はタキシード姿で喉を掻き切られ、胸を突き刺され、口に血まみれの紙切れを突っこまれていた。
当時のカルカッタの街は、北のインド人街(ブラック・タウン)と、南のイギリス人街(ホワイト・タウン)に二分されていた。そのブラック・タウンで、イギリス人の政府高官が殺害されたのだ。
時まさに帝国主義の時代である。藍やケシの強制栽培により小麦などの畑が激減し、その結果、数十万人規模の餓死者が出る大飢饉がしばしば発生している。また、不公平な関税政策によって、インド国内の地場産業は壊滅状態に陥り、民力は疲弊し、人々は貧窮の極みにある。当然ながら、現地には激しい怒りが渦を巻き、いたるところで反英闘争の烽火(のろし)があがりつつある。そんななか、1919年、植民地政府は悪名高いローラット法を制定し、危険人物と目された者を令状なしで逮捕し、裁判なしで投獄できるようにした。これに対して、インドの愛国者たちは猛反発し、一部の者は暴力的な手段に訴えるのもやむなしと訴えた。カルカッタを含むインドの主要都市には、いつ反政府暴動やテロが発生してもおかしくない緊迫した空気が流れていた。
そのような状況下での、政府高官の殺害事件である。反政府活動家による政治がらみの犯行という見方が出て、それ以外は考えられないとする空気が警察のなかでも外でも支配的になるのは当然の成りゆきだった。
だが、そうそう話は簡単ではない。調べを進めるにつれて、謎は深まるばかりで、すとんと胃の腑に落ちる答えはどうしても見つからない。そうこうしているうちに、筋の通らない奇妙な事件や出来事が頻発しはじめ、事態は混迷の度を増していく。
政府高官の死。深まる謎。憎悪。偏見。差別。非情。友情。淡い恋情。道徳と腐敗。売春宿。阿片窟……
ときはちょうど100年前の1919年、場所は歓喜の街とも宮殿都市とも言われるカルカッタ。案内人はアビール・ムカジー。
⑤『ある一生』スイスアルプスで生きた男の物語
ローベルト・ゼーターラー 著 浅井晶子 訳
吹雪の白い静寂のなかに消えていった、あの光景。アルプスの山とともに生きた、名もなき男の生涯。
雪山で遭難したヤギ飼いとの邂逅に導かれるように、20世紀の時代の荒波にもまれながら、誰に知られるともなく生きたある男の生涯。その人生を織りなす、瞬くような忘れがたき時間が、なぜこんなにも胸に迫るのだろう。80万部を超えるベストセラー、英語圏でも絶賛! 現代オーストリア文学の名手が紡ぐ恩寵に満ちた物語。
普通の男の特異な生涯、というのは矛盾だろうか。
平凡な男ではなく、普通の男。
『ある一生』の主人公エッガーは正に主人公であって、この小説はほぼ彼の言動の記録に終始する。他の人々は愛する妻のマリーも含めて脇役でしかない。すべては彼の視点から語られる。
彼はいかなる肩書きも持たない生活者である。八十年近い人生は、「子供時代と、ひとつの戦争と、一度の雪崩を生き延び」た。「家を一軒建て、家畜小屋やライトバンの荷台や、さらにはほんの数日とはいえロシアの木の檻など、無数の場所で眠った」と要約することができる。
生涯を通じてほぼ一人者だった。養父の暴行によってずっと残った障碍とか、雪崩による若妻との死別とか、八年に亘る捕虜生活とか、災難はいろいろあったけれど、それを越えて彼は生きた。「人を愛した。そして、愛が人をどこへ連れていってくれるのかを垣間見た」というのは回顧の思いとして悪いものではない。
派手な場面がなかったわけではない。
精一杯の勇気を奮ってのマリーへの求婚のメッセージ。それを山腹にFUR DICH, MARIE(君に、マリー)と火の文字で綴るなんて、かっこいいの極みではないか。
彼がもっぱらとした仕事がロープウェイ建設とその保全というのも、壮大な風景が目に浮かんで素晴らしい。つまりこの小説はアルプスの山々を借景としてうまく取り込んでいる
⑥『北氷海』読んで 北極園で厳しい自然なか人間の残忍さや欲望を剥き出しするサバイバルサスペンス7
イアン・マグワイア 著 高見 浩 訳
十九世紀、北極圏の海上で鯨油採集を業務としていた捕鯨船が物語の舞台だ。冒頭いきなり凄惨な殺人の場面からはじまる。殺人者はドラックスという捕鯨船の腕利きの銛打ちだ。泥酔し、悪臭をはなつドラックスは残忍で不気味な男であり、港町の酒場でたまたま出会った男や奇妙な色気を放つ少年を、いずれも大した理由もないのに殺害する。彼は何の屈託もなく機械のように生身の人間を殺すことができる男である。一方、主人公は船医として雇われたサムナーという男だ。英国領インドでの戦争引揚者である彼は何か秘密を隠しているようで、しばしば阿片を吸っては現実から逃避し、忘我の境地をさまよう。インテリである彼は気の荒い船員と一定の距離をたもち、時折船室でひとり『イーリアス』を読んで自分だけの世界に閉じこもる。
他の登場人物たちもどこか皆、いわくありげだ。船長は前回の航海で船を沈没させてしまった不運な男なのだが、なぜか船主はこのツキに見放された呪われた男を雇用する。二人の間には何やら密約があるらしい。航海士も評判の悪いやけっぱちな男で、航海中にドラックスとともにサムナーの秘密を握り、機会をうかがって亡き者にしようとする。こうしてそれぞれの思惑をかかえながら捕鯨船は鯨をもとめて北上する。ところが、嵐に遭遇し、氷塊の圧力で船が沈没したことから物語は予期せぬ方向へ流れていく。人智を超えた自然の猛威が、この航海に対して抱えていた船員たちの各々の思惑を押しつぶし、彼らを無力な単なる一人の人間に差し戻し、北極の氷原の上に投げ出したのだ。航海中にも殺人に手を染め地下倉に幽閉されていたドラックスは、これを機会に氷の向こうに姿を消す。一方、サムナーらほかの船員は生き残りをかけて別の捕鯨船を探すが、それもうまくいかず、やがて死の影が忍び寄ってくる。
著者がこの物語に込めたモチーフは、強いていえば二元論的世界からの脱却であろう。海の世界は記録に残らないので詳細は知られていないが、北極探検史において捕鯨船は隠れたキープレーヤーであった。鯨を求めて氷海を渡り歩いた命知らずの男たちは、海軍が派遣する正規の探検隊より、ときにははるか北の彼方まで船を進ませることもあったのだ。欧米による近代探検事業とは、言ってみれば地図の向こうに広がる未知の世界を自分たちとは異質なものとして切り離し、利用のために開拓しようとする活動のことだった。つまり自然を対象ととらえて素材とみなす西洋の二元的思考があって初めて成立する営為である。その意味で北極探検の隠れた担い手であった捕鯨船は、この二元論的世界観の正当な継承者だったといえる。なにしろ捕鯨は油を抜き取ってエネルギーとして利用するためだけに海の支配者である鯨を殺害する血も涙もない経済活動である。銛打ちであり、腕利きの鯨殺しであるドラックスは、まさに西洋的二元論が生み出した鬼っ子なのだ。
船員たちは終始このドラックスの悪事に手を焼き、持て余す。それは二十一世紀の現代になってもまだまだわれわれの思考にはびこる近代という時代の残滓との格闘のようにも読める。ドラックスの無軌道な暴挙に対抗させるため、著者が主人公のサムナーにとらせた方策が自然との和解だった。飢えに苦しみ氷原を彷徨したサムナーは白熊を発見し、これを射殺、死骸にくるまって凍死を免れ、最後はエスキモーに助けられて生き延びる。白熊は北極の王者であり、北極そのものだ。その毛皮に包まれることでサムナーは北極の大地との一体化を果たし、自然を素材としてしか見なさなかった近代的二元論を超克する。そしてドラックスとの最終対決に挑むのである。
深いテーマ性だけではなく、いくつもの伏線を絡めた複雑なプロットで仕上がったこの小説は、スリリングな展開のエンターテインメント作品でもある。人物の造形も個性的で、魅力的だ。港町の酒場の薄暗い様子や、氷原での海豹狩りの血腥い現場の雰囲気も、読んでいてまるで臭いが漂ってくるほどリアリティにあふれている。言葉のひとつひとつに重みをきかせた文体で物事の表層をはぎ取り、その奥にひそむ本質をえぐり出して、死に彩られた陰鬱な極地捕鯨船の世界を生々しく描こうとする。そんないかにも英国らしい質実で実直な小説である。 角幡唯介(探検家・ノンフィクション作家)書評より
エスキモーの女の不思議な性の風習が出てきます。
サムナーが駄目さや弱さと強さがあるアイルランド人らしい魅力が素晴らしい。
⑦『廓に噺せば』歌丸師匠のファミリーヒストリーを小説楽しめる。横浜の色街の昭和の廓ばなしが面白い
桂 歌蔵【著】
昭和十六年の横浜。五歳の少年・桧垣壽雄は、色街・真金町の廓『永代楼』の一人息子だった。壽雄は、廓を切り盛りする祖母いねに可愛がられ、何不自由なく暮らしていた。しかし、母のきくが突然家出すると、その寂しさから、壽雄は落語や漫才などのSP盤を聞くようになり、笑いに目覚めていく―直弟子が故・桂歌丸をモデルに描く、傑作長編小説。
歌丸師匠の病室を訪れたら、他に見舞い客は誰もいなくて、師匠ひとりだったんです。「実は師匠、『ファミリーヒストリー』でやっていたことを書きたいんですが」といったら、師匠がちらっとこちらを一瞥(いちべつ)した後、ずーっと窓の外を見たまま「いいよ」っていったんです。その後に「おれが小さかった頃な、横浜港の三菱化学工場で大爆発があったんだよ。あれは一体何だったんだろうな」ってつぶやいて。で、「わかりました。それを小説に書きます」という話をしました。その足ですぐに野毛の図書館に行き、そのあとも開港資料館に行ったり、その後も横浜に行くたびに調べていきました。
――歌丸さんの子供の頃のエピソードなどは、どのようにして取材されたんですか?
歌蔵 師匠にお仕えしたのが、二十六年と七ヶ月になります。二ツ目の頃、地方に同行させてもらってたんです。旅の最中に師匠が直接話してくれたこと、また前座時代、師匠の講演の鞄持ちで付いて行ってた頃、講演内容は、生い立ちとかおばあちゃんとの話、五代目古今亭今輔師匠のところに弟子入りしたときのエピソードを、話してらしたんです。それらが自分の中に残っていたんです。
女衒を家業としていてその後横浜で廓主人となる祖母と後継ぎの孫の愛情あふれる物語。
⑧『ケミストリー』 新世代のアジア系移民作家誕生ウェイク・ワンと好きな移民作家
ウェイク・ワン/著 、小竹由美子/訳
得意だったはずの化学の研究はうまくいかず、博士号取得はドロップアウト寸前。同棲中の彼からのプロポーズにも答えが出せず……。血のにじむ努力で移民してきた両親の期待に応えられない自分を持て余した、理系女のこじれた思いが行きつく先は――。PEN/ヘミングウェイ賞を受賞した中国系アメリカ人作家のデビュー作。
化学の博士号取得コースから脱落した中国系女性が、移民の苦労を重ねてきた両親にそれを打ち明けられず、今後の身の振り方も決まらず、容姿も頭脳も性格も申し分ない同棲中の白人の恋人から結婚を申し込まれても決心がつかず、何もかも宙ぶらりん状態で煩悶する日々が、暗喩的な科学の雑学を交えて一人称現在形で語られる。恋人エリック以外は名前が与えられず、直截で淡々とした語りなのだが、その行間にしばしば強い感情が滲む。ごく普通のアメリカ人として育った善良なエリックにとっての「当たり前」に語り手はいちいち躓き、自分や両親の来し方を振り返る。周囲の何気ない視線や言葉が、日々語り手に突き刺さってくる。そんな状況でもがきながらも先へ進む道が見えてきたところで、物語は終わる。
作者は南京市出身。両親と共にオーストラリアとカナダ経由で11歳の時にアメリカへ。ハーバード大学で化学の学士号及び公衆衛生の博士号を、ボストン大学で美術学修士号を取得。全米図書協会の2017年度「35歳未満の注目作家5人」のひとりに選ばれている。本書はアマゾン・スタジオが映画化を検討中とのこと。
アメリカに移民した子供たちの成長物語、
⑨『赤い髪の女』井戸掘りと父親の物語と初恋と赤い髪の女
オルハン・パムク/宮下遼訳
『赤い髪の女』で、主人公ジェムが1980年代の子供時代を回想して始まる。ただし冒頭に「私は作家になりたかった」とあり、それは途中でも繰り返されるから、進む文章に常にかすかなメタ視線が入り込み、最後の最後に効く。
失踪した父を持つお坊ちゃんジェムは、当時まだ残っていた井戸掘りのアルバイトに励まざるを得なくなり、マフムト親方を慕いながら肉体労働を繰り返す。その様子は読者をとらえ、誰にでもある今はなき時代への追憶にひたらせてしまうだろう。
そうやってしばらくの間、おとぎ話のような掌編の組み合わせに見えた本作を前に、パムク愛好家の私でさえ「やはり作家は老いてくると懐旧の念にひたすらとらわれるのだな」と思わされた。ほんわかしたまま終わるのだな、と。
ところがしかし、町へ出て赤い髪の女にひと目惚れをしたジェムが親方に『オイディプス王』の父殺しの話をするエピソードが、やがて突然時間を飛んで青年になる彼へとつながり、東洋の『王書』の中の子殺しのテーマにからめた文学談義にもなりながら小説の質を変転させていってしまう。
ふと気づけば、赤い髪の女に恋をしていたジェムは、彼女との関係を忘れて賢い妻を持ち、事業を成功させている。新しいトルコの人材となった彼は、不動産に関わってイスタンブールの激動を体感する。前作『僕の違和感』では貧しい主人公がヨーグルトを売り歩く中で緻密に語られた都市の今昔が、今度は俯瞰で提示される。
と、驚くことにいつの間にか文のタッチが変わっている。一体どこで切り替えられたのか、読者は煙に巻かれるだろう。確かに少年だった頃のジェムでは青年時代は語れないし、それより上の年代となればなおさらだ。
しかもイラン空爆などがテキストの中にあらわれ、失踪した父が属していた政治組織の話などが出てくるに至っては、東西の歴史がそのまま小説に刻まれるわけで、日々親方が掘る井戸の脇にいた頃のジェムでは到底理解出来なかった国際政治までを、大人となった彼は語ることになる。
同時に、あの父殺しのテーマは重低音で作品内に潜み続け、やがて思いもよらない姿をとる。その時、我々はパムクがすらすらと書いていたはずの文がいかに複雑に計算されていたかに舌を巻く。
親方によれば七層からなる天のように大地もまた層をなしているらしい(この話を聞いたせいで、私は星空を見上げながらも頭の下に横たわる暗黒の世界に想い馳せてしまうことが一度ならずあった)。たとえば、色の濃い黒土の二メートル下から、水一滴通さないひどく乾いた粘土質の地層が現れることもあるわけだから、水を探す場所を絞り込もうとした昔の井戸掘りの匠たちは、土や下草、虫、はては小鳥の言葉にさえ耳を傾け、大地を歩きながら足の下の岩や粘土の存在を察知しなければならなかったのだ。
昔の井戸掘り人の中には中央アジアのシャーマンよろしく超自然的な力や直観を信じたり、土の下に住む神々や精霊たちと言葉を交わそうと試みる者もいたそうだ。そして、安価に水を探り当てたいと望む者は誰でも、父であれば一笑に付したであろう迷信の数々を信じてしまうものだ。ベシクタシュ地区の一夜建ての住民たちが、庭先で同じように水を掘っているのを見かけたことがある。その家に暮らすおじさんやおばさんが、虫が這い、鶏どもが駆けまわる雑然とした裏庭のどこに穴を掘ろうかとうずくまって、病気の赤子の胸に耳を押し当てる医者のように、地面の声に耳を傾けていたものだ。
「神の思し召しがあれば、2週間で仕事は終わるだろうよ。10メートルかそこら掘り下げれば水は出るさ」
高度成長期の開発が進む大都市イスタンブールの郊外では、まだまだ近代でない井戸掘りがおこなわれていた。
いまのイスタンブールはミニバスも走らなくなり渋滞も解消しているし、地下鉄もどんどん路線が伸びて便利になっています。
高度成長期にある。地方からの多くの出稼ぎ者のスラムでを、父親との愛情を知らないまま成長した青年の初恋は赤い髪の女。面白いトルコ的小説です。
おすすめ ある一生 あの名作「ストナー」の雰囲気がある。
⑩『冬将軍がやってきた夏』台中である夏に起きた奇跡のファンタジーは・・・・。甘耀明新作小説
大河巨篇『鬼殺し』で好評を博した、台湾の若手実力派作家、甘耀明の最新作。台中を舞台に、身寄りのない老人など社会的弱者に着目し、主な登場人物は全員女性という新境地となる長篇小説である。
主人公の「私」は、大規模な幼稚園に勤める二十代の女性保育士。ある年の夏、十数年音信不通だった祖母が、私に会いにやってきた。末期の肺がんに冒された祖母は、気がかりだった孫娘に、死ぬ前に会う責任があると思い、自らが営む小型の共同ホームの老女たち五名と老犬一匹と共に私の家に姿を現した。ちょうどその時、私は自宅で幼稚園の園長の息子にレイプされ、祖母は唯一の目撃者となる。私の心は傷つき、園長の息子を告訴し、幼稚園を退職、祖母を含めた共同ホームの老女たちと行動を共にするようになる。祖母の終活に寄り添いながらひと夏を過ごした私は自己回復していく……。
私はひと夏を祖母と五人の老女と暮らすことになる。老女たちは社会からはじかれているが、アマチュア劇団をやったりして、喧嘩しながらも楽しく逞しく姦しく暮らしている。老女たちの生活は妙に生々しく描かれているが、浄化されて楽しいコミカルなファンタジーのようであり、いたるところに優しいポエムが散りばめられているような小説だ。
女性問題、独居老人、同性愛など、現代の台湾社会が抱える問題を捉えつつ、著者のまなざしは、社会的弱者の心を温めて〝生〟をいろどる〝記憶〟に注がれる。それが厳しい現実を生き抜く支えになるというメッセージをユーモア溢れるタッチで描いた傑作
おすすめ ある一生はあの名作「ストナー」に繋がる作品
インド人刑事の活躍は次回作に期待だ。
