マカオ馬介休→香港 本と映画とサイクリングの旅13 まとめ 香港返還20年の相克を読んで。 | ・・・   旅と映画とB級グルメ と ちょっと本 のブログ

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「李欧」高村薫著
惚れたって言えよ―。美貌の殺し屋は言った。その名は李欧。平凡なアルバイト学生だった吉田一彰は、その日、運命に出会った。ともに二十二歳。しかし、二人が見た大陸の夢は遠く厳しく、十五年の月日が二つの魂をひきさいた。
李欧物語 中国脱出
さて、ぼくが送られた村は、沙洋という町から20キロも離れた所にあった。誰も字も読めない、水道もない、トイレもない、学校もない、人民公社なんか看板だけで、肝心の農機具も肥料もない、種もみもない。畑は荒れてて、白菜ぐらいしか植わっていなかった。見渡す限り、草も生えてない荒地だ。どこへ立っても、見えるのは雲と黄土色の地平線だけで、風景なんてものじゃない
さて、ぼくが送られた村は、沙洋という町から20キロも離れた所にあった。誰も字も読めない、水道もない、トイレもない、学校もない、人民公社なんか看板だけで、肝心の農機具も肥料もない、種もみもない。畑は荒れてて、白菜ぐらいしか植わっていなかった。見渡す限り、草も生えてない荒地だ。どこへ立っても、見えるのは雲と黄土色の地平線だけで、風景なんてものじゃない。
下放やってきた落ちこぼれの学生と友達になった。北京の芸術大学で舞踊を学でいる学生もいた。ぼくが英語を教わった学生は、シェイクスピアの「マクベス」原書をバラバラにして、油紙に包んで上着の裏に縫い付けていた。
あるとき、村にまた下放の学生たちがやって来て、これが全員紅衛兵だった。飢えて殺気だっていて、まずはお粥でも食えばいいのに、いきなり村じゅうの人間を集めて総括を始めるんだ。もともと村長だって人民公社だって、生産報告なんかむちゃくちゃだったから父母が夜中に荷物をまとめているのをみたとき、ぼくは突然決心がついた。この村はなかったことにしよう、養父母もなかったことにしよう、ぼくが死ぬか、毛沢東が死ぬかだ、そうおもった。
 半時間後には、ぼくは荷馬車に豚一匹積んで、学生三人と一緒に村を逃げ出していた。行くのは香港しかなかったが、地図はないし、どのくらい距離があるのかも分からない。金もない。そのときはぼくの袋に入っていたのは、歯ブラシ一本と石鹸一個。剃刀一本。手ぬぐい一枚。それだけだった。70年の夏だ・・・・。
香港にたどり着いたのは、ほんとうに奇跡だった。優に千キロ逃げたからな夏で畑にあったから生き延びれたんだ。昼は隠れていて、夜に山や草原を歩いた。豚は途中で食った。紅衛兵に見つかって、逃げたら撃ってきた。学生が一人死んだ。
ぼくと芸術大学の学生はやっと珠江にでた。河岸に立つと、香港の街はみえないだが、対岸の空がぼっと明るいんだ。中国では見たことのない明るさだった。
 河を泳いで渡るとき、水が冷たくて溺れそうになった。後で気づいたら、もう12月だったんだ。香港はクリスマスだったよ・・・・。これで李欧が国をでた物語は、お終い。中国人の7億5千万分一の、塵みたいな話だ」本文より

時代が流れか、香港より 中国大陸の方が明るい

星野博美もこの海岸を訪れています。今でも密入国のルートが現存するらしい。

 

遊川和郎著
英国から中国への返還が実現して20年。東洋の真珠とも呼ばれる世界的なフリーポートは、返還後も中国本土へのゲートウェイとして優位性を誇示してきた。
しかし、経済は中国本土に圧倒され、返還時に約束された「一国二制度」は「一国一制度」へと収斂しつつある。習近平政権は香港の自由を実力で奪い、各方面で対立が表面化。一部の若者からは「独立」の声もあがる。
 上海、北京、広州など中国本土が急成長するなか、香港の相対的な地位低下が続いている。中国の国内総生産に占める香港の割合は3パーセントを割った。製造業は、コスト競争力はもとより、研究開発でも本土の後塵を拝す。国際金融センターとしての相対的地位は健在だが、行政の介入がマイナスに作用。傘下の本社登記地をケイマン諸島に移した李嘉誠など、大富豪たちの動静にもこれまでとは違う変化の兆しが見られる。英国流の教育制度は排除され、英語を話せる香港人も減少の一途をたどるなど、香港の優位性を支える基盤にも軋みが見られる。数多くの興味深いエピソード、背後にある文化や制度の変容から、混沌とも雑然とも形容される香港の実像を浮き彫りにする。
 香港返還から今日に至る政治、経済、社会の深層に迫り、あらためて返還の意義を考えるとともに、今後の中国に対する視座を与える一冊。
相克とは
対立するものが互いに相手に勝とうと争うこと。
中国本土の政権、中国共産党と香港市民、香港財閥、大陸からの新移民などが20年間争ってきた20年間史である。
【目次】
序 章 愛される都市
第1章 香港返還前史
第2章 共存共栄関係の終焉
第3章 形骸化する一国二制度
第4章 累積した経済政策の誤り
第5章 迷走する民主化と軽量化する行政長官 大陸妻を密入国 大陸妻が香港出産する子供も市民権問題
第6章 劣化する国際経済都市 英語力の低下 
終 章 竜宮城のリニューアル
「人民日報」系列の「環球時報」は6月29日付の記事「20年、香港は凄まじい勢いの祖国とともに駆け抜けた」で、「香港」「衰退」の2語で検索すると、100万本もの記事がヒットするが、香港は衰退したわけではないと伝えている。
 過去20年間、アジア金融危機やSARSの流行などを経て、ロンドンやニューヨークと同列に扱われていた過去の栄光を上海や深圳に奪われ、経済規模もかつての勢いはないものの、それは中国が急速に発展したからそう見えるだけだというのだ。
 生まれも育ちも香港というある男性によれば、2002年当時、販売員の時給が10香港ドル(約150円)でもうらやましがられたものだが、現在、妻や友人と経営するレストランでは、従業員の時給が40香港ドルあまりでも普通なのだという。
 香港のGDPは1997年には中国全体の18%を占めていたが、いまでは3%にも満たない。
 英字紙「チャイナデイリー」の中国語版サイトには「返還が経済の潜在力を刺激 国際社会は香港の成果を好ましいと思っている」という見出しの記事が掲載された。
 記事によれば、香港のGDPはじつは大幅に増加しているという。香港のGDPは、1997年の1億3700万香港ドルから年平均3.2%の割合で成長を続け、2016年には2億4900万香港ドルに達した。
 特区政府の財政貯蓄も、1997年の4575億香港ドルから9083億香港ドルへとほぼ倍になったという。
香港返還20年祝賀晩餐会で乾杯の音頭をとる習近平国家主席。2017年6月30日
PHOTO: DALE DE LA REY / POOL / BLOOMBERG / GETTY IMAGES
「中国に戻ってきたからこその、香港経済の繁栄なのだ!」
 中国本土メディアの論調は、その一色だと言っていい。
2018年には、 広深港高速鉄道(香港部分)は2018年9月23日に正式で運転を行います。9月10日からチケットを予約できます。開通後、毎日60便ぐらいの列車は大陸の広州南駅、深セン北駅、深セン福田駅と香港の西九龍駅を往復しています。
 広深港高速鉄道は広東省の広州市から、東莞、深センを経由し、香港に到着し、全長140kmとなっており、広州南、慶盛、虎門、光明、深セン北、福田、西九龍などの七つの駅が設けられております。広深港高速鉄道(香港部分)は26kmあり、途中には停車駅を設けず、西九龍駅からトンネルを通して北側の落馬洲と深センの境へ向かい、大陸の高速鉄道とつながっております。高速鉄道(香港部分)の列車の最大スピードが200kmとなっております。
 香港鉄道は高速鉄道(香港部分)に名を付けるため、民衆からアイディアを募集しました。評判委員会の合意によって、「動感号」と決定され、香港が動感あふれる都で、香港人と経済はパワーに満ちていることを意味しています。
マ香港とマカオ、そして中国広東省の珠海を結ぶ全長55キロメートルの海上橋が完成した。かつての英国とポルトガルの植民地と本土がつながる。だが、より難しいのは政治的分裂の克服だということが証明されるかもしれない。
  1日当たり約2万9000台の乗用車やトラックが行き来することになる「港珠澳大橋」では、年内に見込まれる開通式に向け準備が進む。
  この橋の建設は中国の習近平国家主席が描く壮大なプランの一環だ。中国本土の広東省と香港、マカオという「ベイエリア」から成るいわゆる「粤港澳大湾区」を米カリフォルニア州のシリコンバーに匹敵するハイテクメガロポリスとする構想で、HSBCホールディングスによれば、人口6700万人の粤港澳大湾区は経済規模が1兆ドル(約111兆円)に達し、輸出は日本を抜き世界4位になる可能性がある。カオ香港橋で繋がる。

港珠澳大橋は香港空港からマカオへ向かうフェリーから見ることができました。

 

習近平が国家主席として初めて香港を訪問した返還記念日の式典において、「国家の主権と安全に危害をもたらし、中央権力や香港基本法の権威に挑戦する活動は、最低ラインに抵触しており、断じて許さない」と厳しい言葉で香港市民を牽制せねばならないほど、香港の反中感情は高じている。香港大学民意研究計画が実施した香港青年アイデンティティ調査では、18歳から29歳までの若者で、広義も含めて「自分は中国人」と認めるのはわずか3.1%、自分は広義の香港人であるとしたのは93.7%。つまり自分は香港人であって中国人ではないと考え、中国を否定する青年は過去最多となった。
香港行政長官選の民主化を求めた2014年の大規模デモ「雨傘運動」では、中国の習近平指導部から譲歩を引き出せなかったが、多くの若者が政治に目覚めた。「香港の未来は自分たちで決める」。運動のシンボルとなった黄色い雨傘は今でも、民主派団体のデモでは必ず登場する。
増加する移民
 「どんなに貧しくても中国より香港の方がいい」。そう話すのは約2年前に香港男性に嫁いできた湖南省出身の女性(31)。不定期の清掃などで得た収入では食べていくのがやっとだが、娘(5)の教育のために香港に残ると力を込める。
 中国からの移民や観光客の急増は、マナーの悪さなどから香港人の反感も招いた。路上でスーツケースを広げ、商品を詰め込む観光客の姿も珍しくない。中国との経返還後には香港は中国から1日150人の新移民が入っており、郊外の新興住宅地では、大陸出身者が大型マンションにまとまって住んでおり、一大中国人村を築き上げている。
香港では、母語である広東語が普通語への置き換えが進みつつあり、反対する運動も起きている済融合とは裏腹に、感情的な摩擦は強まっている。


マカオ香港を旅すると。深圳などの特別区の発展のスピードへ対応できない。ことの焦りがあり。大陸は香港を国際的な金融関連都市として地位も低下しているが、西欧諸国からみると、本土ではない香港の利便性はやっぱり捨てがたく中国の出先機関としての役割は今後も捨てがたいのではないでしょうか。