『ダッハウ強制収容所自由通り』エドモン ミシュレ 著
ド・ゴール政権下で国防相や法相、文化相などを歴任したフランスの著名な政治家エドモン・ミシュレによる、ダッハウ強制収容所実録「物語」。他のナチスによる強制収容所と同様、人間の尊厳を徹底的に剥奪される環境のなかでの生活を、抑制された筆致、ミシュレならではの視線で描写するダッハウ強制収容所はアウシュヴィッツのような絶滅収容所ではなく、レジスタンス、共産主義者、聖職者、その他ナチスへの抵抗勢力を収容していた。 絶滅収容所ではないとはいっても、暴力が支配し、飢餓が慢性化し、衛生状態が悪くて伝染病が蔓延したことに変わりはない。死と隣りあわせの毎日。明日は自分が死ぬかもしれない不条理な日々。それがいつまで続くか見通しも立たない絶望的な日々。 だがミシュレは、そんな日々にあっても、人間性を失わなかった。驚くべきことに、収容所のバラックの中では、SS(ナチス親衛隊)の目を盗んで、司祭が秘密裏にミサをあげていた。ミシュレも熱心にミサに参加した。ミシュレの精神的な支柱は信仰にあった。また文学、歴史、その他の広範な教養もミシュレを支えた。ミシュレは典型的なヨーロッパ精神の持ち主かもしれない。ヨーロッパ人といえども、だれでもミシュレのように身を処すことができるわけではないので、その最良の部分を体現する人物といった方がよいかもしれない。これぞ、レジスタンス誇り高きフランス人物語。
『戦地の図書館』モリー・グプティル・マニング 著
戦地の兵士を支えるものはなにか。食糧、水、医薬品、安全な寝床。そうした物の他に、なによりも書物が精神の糧として必要だと米国は考え、第2次世界大戦中の戦勝運動の一環として、「兵隊文庫」を創刊し、本を戦地に送り続けた。 表現力と想像力は人間の尊厳の礎だ。かつての強制収容所や刑務所は、まず収容者から読み書きの手段を奪った。人間にとって最も大事な知的活動を封鎖され、生きる気力が失われていく。アウシュヴィッツの生還者プリーモ・レヴィはそれを「人間性の壊死(えし)」と呼んだ。 ナチスによって、「純粋なドイツ人」らしからぬ1億冊の本が焚(ふん)書(しょ)されたといわれる。そうして人の心を支配しようとするナチスの心理戦に対抗するため、米国はシェイクスピアやディケンズなどの名作や詩集、ミステリ、娯楽本までを兵士に送り届けた。戦地で読書の習慣に目覚め、復員後、大学に通う元兵士もいたという。
「アンジェラの灰」著者のアイルランド移民のフランク・マッコート除隊後中卒ながらNY市立大入学した。
『第三帝国の愛人――ヒトラーと対峙したアメリカ大使一家』エリック・ラーソン 著
ドッドは、家族(妻、息子、娘のマーサ)を連れて赴任する。質素な生活を送りリベラリズムを信奉するドッドは、裕福で貴族的な国務省のエリートや大使館員と端から反りが合わない。ドッドがベルリンで見つけた公邸は、裕福なユダヤ人所有の物件だった。彼はドッドと同居することで強かにわが身の安全保障を図ったのである。ナチに新生ドイツの希望を見つけようとする奔放なマーサ(既婚者であるのだ)は、ゲシュタポ局長などと浮名を流す。ヒトラーとも一度会い、手にキスを受けるのだ。リベラルでうぶな父親、ドッドは愛娘の行動を知らない。当然、保守的な大使館員は反発する。「マーサは最も不適切なことをする女性であり、結婚しているナチの秘密警察の局長と夜いつも外出している」。しかし、マーサがナチに幻滅するのに時間はかからない。その反動で、マーサが選んだ恋人はスパイであるソビエト大使館員だった。これは小説ではなくノンフィクションである。
『灯台の光はなぜ遠くまで届くのか 時代を変えたフレネルレンズの軌跡』
海難事故を無くすために必要なのが遠くまで光を届ける 灯台が必要だった。その灯台のレンズと制作するまでのフランネルの物語。海難事故の原因の多くは、嵐や荒波にやられて行方不明になるというものではなく、座礁による沈没だった。もちろん19世紀初頭にも灯台はあったのだが、その数は少なく、なにより1つ1つの灯台が発する光が弱すぎた。LEDはもちろん、白熱電球すら発明される前の時代なのだから無理もない。その時代に使われていた炎と鏡の組み合わせという様式の灯台は、2000年前にギリシャ人によって建設されたアクレサンドリアの灯台と、科学的にはほぼ同じ進歩のないものだった。本書の主人公は、子どもの頃には「頭の回転がにぶく」、「8歳になるまで、ほとんど字が読めなかったと言われている」オーギュスタン・ジャン・フレネルである。オタク的とも思われるフレネルの執着心と確かな理論が、人類に光をもたらすフレネルレンズを生み出したのだ。この時代のヨーロッパ科学界は光の本質をめぐって、光を粒子であると信じる“粒子信奉派”と、光は波であると信じる“光波信奉派”の戦いが繰り広げられていた。「光はごく小さな重さのない粒子」であるとするニュートン学説は強力で、フランスでは粒子信奉派が優勢であり、エコール・ポリテクニークでのフレネルの教官もニュートン説支持者だった。しかし、ニュートン説には「光の回折」という厄介な現象がつきまとっていた。光の回折とは、小さな穴を通り抜けた光が通過した穴よりも大きな光と影の模様を作るような現象のことで、光が粒子であれば起こりえないはずだった。そのため、光の回折は科学者たちに謎であり続け、その発見から100年以上が経過しても明確な説明を提示した者はいなかったのである
『日本語を作った男 上田万年とその時代』山口 謠司 著
「国語」を作らなければならない。日本各地にさまざまな言葉があり、身分や階級によっても違う言葉がある。これを統一することはすなわち国民を言葉によって日本という国に所属させることだった。国家はそれを求める。戦場で部下が号令を理解できなければその部隊は負ける。産業の場においても同じ。この要請は強いから戦後「国史」が「日本史」になっても「国語」は「日本語」にならなかった。唯一無二が強調された。だから今もって我々は母語と母国語を混同する。一国に一言語と信じて疑わない。また、かつては方言撲滅運動を当然のこととして受け止めた。一国の正式の言葉の規範を作るのが上田万年の使命で、当面の課題は二つあった。一つは言文一致体の勧め。もう一つは仮名遣いの改革。言文一致は漢文読み下しのような文語文をできるだけ普段づかいの口語に近づけるということで、これは鴎外の「舞姫」と漱石の「坊っちゃん」を比べればわかる。 仮名遣いのこと。日本語の仮名は表音文字であるが、発音は時代と共に変化するから、表記との間にずれが生じる。それをどう是正するか、そもそも是正すべきものなのか。 あるいは漢字制限のこと。漢字を覚えるのは大変だから数を制限しようという動き。すべて撤廃して仮名だけにするという極論もあった。 上田万年たちは発音に近い新仮名遣いを提案した。一九〇八年(明治四十一年)の「臨時仮名遣(かなづかい)調査委員会」で、これに徹底的な反論を加えたのは森鴎外だった。彼が言いたかったのは、表記を今の発音に合わせてしまっては言葉の由来がわからなくなるということだった。結局、この時は政治的な駆け引きのあげく、新仮名遣いは採用されなかった。これが実現したのは戦争が終わった一九四六年(昭和二十一年)のことだ。矛盾と妥協に反発する意見も多かったが(表音に徹すればここでぼくは「ぼくわ」と書いていたはずだ)、言葉というのは使われれば定着する。

『ラーメンの語られざる歴史』ジョージ・ソルト著
東アジア史専門の米国人学者がラーメンを研究する。これは現実の話なのか。塩味が利いているような著者名はネタではないのか。告白すると最初は少し疑っていた。 しかし調査の手際はまっとうな歴史家のものだ。たとえば占領軍関係文書や公電にも著者は分析対象を広げる。冷戦の幕開けとともに日本への食糧供給は共産主義の台頭を防ぐ意味をもった。米国提供の小麦を原料とするラーメンは労働者や学生たちの心身両面の飢えを癒やし、社会に対する憤懣(ふんまん)を鎮めて復興から高度経済成長へのプロセスを支える活力源となった。
こうした普及過程でラーメンは位置づけを変える。明国人・朱舜水が徳川光圀に教えたとする起源伝説のように中国との関わりで語られることが多かったラーメンが、次第に日本文化が生んだ国民食と謳(うた)われるようになった。このような伝統の再創造については速水健朗『ラーメンと愛国』も触れていたが、本書の場合、政治経済史的な背景を見る姿勢が新味となる。 食材と味にこだわってマスコミの寵児になる「ラーメンシェフ」が続々と登場した風潮についても、長引く不況の中でラーメンによる起業が貴重な「成功談」資源だったから注目が集中したとして「下部構造」からの説明を試みる。 こうした成功談や、やがて「クール・ジャパン」の食としてラーメンが海外進出を果たした事実は日本の若者に成功の夢と民族的な誇りを提供した。だが著者はその存在が占領期から一貫して「工業労働者を封じ込める政策」と分離できないと考える。確かに、工業労働者に限定されないが、ラーメンを食べて格差化を深める社会の憂さを忘れたという人は少なくないだろう。ラーメンという緩衝装置なかりせば、果たして戦後日本はどうなっていたか。スープの湯気の向こうに、そんな大それた想像をしてみたくなる一冊だ。

『空から降ってきた男──アフリカ「奴隷社会」の悲劇』小倉孝保 著
今日の欧州を覆う難民問題の本質に迫ろうとする労作である。 五輪の興奮の余韻が残るロンドン郊外で、26歳のアフリカ人青年の遺体が見つかった。男はルアンダ発の旅客機の主脚格納部に忍び込んで密入国を図り、目的地の上空で力尽きたと見られた。地元記者が早々に興味を失うなか、在英特派員の著者1人はアフリカの奥地にまで足を伸ばす。なぜ、命がけで欧州を目指したのか。男のなぞの入れ墨、浮かぶ白人女性の影……。展開は上質のミステリーのようにスリリングだ。無名のはずの青年の死は、取材のフィルターを通してアフリカの貧困問題と行政機構の腐敗を照射する。「人は豊かさを知らない限り、貧しさを知ることもない」。だが情報はたやすく国境を越える時代である。現実を知れば、「人間は低いところから高いところに向かう」と記す。

『鉱山(ヤマ)のビッグバンド』小田 豊二 著
鉱山労働者が結成した楽団の笑いと涙の物語 昭和30年代、好景気に沸き返っていた飛騨・三井金属の鉱山労働者たちが結成した。玄人はだしの楽団が巻き起こす、笑いと涙の感動物語。かつて東洋一といわれた三井金属神岡鉱山に誕生した、奇跡の音楽集団「神岡マイン・ニュー・アンサンブル」。廃墟の風景から聞こえてくる「昭和」のドキュメント。「メンバーは、二十数人の鉱山の坑内で働く従業員たちであった。トロッコで坑内奥の最前線まで行き、そこで削岩するトランペッターもいれば、坑内の爆発事故で片目を失ったテナー・サックス奏者もいた梶田隆章のノーベル物理学賞受賞で湧く、岐阜県飛騨市神岡町にあるスーパーカミオカンデ。その1000メートル上には、かつて東洋一の採掘規模を誇り、同時に「イタイイタイ病」の原因企業ともなった三井金属神岡鉱山の集落が、廃墟となって静かに眠っている。昭和30年代、鉱山が好景気に沸き返っていたころ、この地区には約800世帯、4000人が暮らしていた。社宅にはテレビ、冷蔵庫、洗濯機はもちろん、水洗トイレまで完備されており、まさに「天空の楽園」だったという。あるときそこに、「音楽は好きだけれど、楽器もない、譜面も読めない」鉱山労働者たちが集まり、「神岡マイン・ニュー・アンサンブル」なるビッグバンドが結成された。三交代制のなか猛練習を重ね、彼らは集落の人々を楽しませるばかりでなく、企業の音楽部等がその実力を競う産業音楽祭中部大会で13回連続優秀賞受賞という大記録を打ち立て、東京でも公演を行う玄人はだしの集団となっていった。本書は廃墟の風景から聞こえてくる幻の音楽と彼らの熱い思いを、生存者への取材等から浮かび上がらせる、「昭和」のドキュメントである。

『ゲルダ—キャパが愛した女性写真家の生涯』イルメ・シャーバー 著
戦争写真が人々の目に触れるようになったのはスペイン内戦からである。新進のグラフ誌が写真を掲載し、カメラマンの意欲に拍車をかけた。近年女性戦場カメラマンの先がけとして注目されているゲルダ・タローもそのひとりだ。これまでは「ロバート・キャパの恋人」という惹句(じゃっく)に紛れていたが、実際は彼を職業写真家に仕立てる役を果たし、本人もまたすぐれた写真を数多く残していることを本書は詳(つまび)らかにする。
東欧系ユダヤ人で体は小柄だったが、男が二の足を踏む前線にも平気で赴き、しかも美人。戦地では目立つカップルだったようだ。しかし、ゲルダ撮影の写真の多くがキャパとクレジットされたために埋もれる結果になった。キャパだけのせいではない。当時は写真家は素材を提供するだけでそれをどう扱うかは雑誌社に任されていたのだから。
キャパを一躍有名にした両手を広げて倒れる「崩れ落ちる兵士」の写真が巻き起こした実戦を撮ったものではないという後の論議や、この撮影者はゲルダの可能性が高いという沢木耕太郎が解説で触れている自説は、そうした時代状況抜きには理解しえないだろう。雑誌は人々の見たがるイメージを競って掲載し、社会の側にもその信憑性を問うという姿勢がなかった。 添える言葉によって見え方が一変し、社会を一方向に動かしたり人々の感情を煽り立てる側面が写真にはある。突き詰めればそれは人間自身がもっている意識の不安定さや揺らぎやすさのあらわれであり、写真は単にそれを正直に映しだすだけなのだ。 内戦当時ゲルダは26歳、キャパは22~23歳。刻々と変化する戦況に生身で反応することを求める写真に深く魅入られたことは想像できる。抵抗心をもった若者の生を燃焼させるのにこれほど最適な道具はなく、その魔力を知ってしまった彼らは写真と契りを交わしたも同然だった。
『漂流』角幡 唯介著
「海の民」の精神に接近 本書の主人公は、沖縄県伊良部島の佐良浜さらはまという場所に生まれた一人の漁師である。男は一九九四年に三十七日間の漂流から奇跡的に生還し、八年後に洋上でまた行方不明になった。なぜ彼は再び海に出たのか。著者はその謎を追って沖縄、フィリピン、さらにグアムではマグロ漁船に乗ってまで遠洋漁業の世界を追体験し、男の見ていた風景に迫ろうとする。 濃密な島の空気を常に嗅いでいる気がした。男の経験した壮絶な漂流の日々と人生、島の漁師たちの語る海への愛憎――。取材の旅は次第にそれらの背後に広がる「海の民」の精神性に接近し始める。補陀落僧ふだらくそうと島の神・ウラセリクタメナウ、戦後の密貿易やダイナマイト密漁、沈没船といった魅惑的なキーワードとともに語られる浜の郷土史と、その風土に育まれ、何かに誘いざなわれるように海へ向かった男の後ろ姿が浮かび上がってくるのだ。 著者の角幡氏はこれまで、探検ノンフィクションの名著を世に送り出してきた。チベット奥地に残る地図上の空白部の踏査、北極圏の幻の航路を辿たどる旅などを私も夢中になって読んだ。過去の作品で繰り返し描かれていたのは、極地で「死」に近づくことが、「生」の実感につながるというテーマだった。暴力的な渓谷や極寒の荒野に向かうのは、漂白された社会に生きる自身が自然の一部として確かに生きている、という感覚を持ち帰るためでもあるのだ、と。故に「死」と隣り合わせの「生」を自明のものとして受容する漁師たちの世界に、著者は羨望の眼差まなざしを向け続ける。彼らの死生観に触れながら、「なぜ探検をするのか」という問いに対する思索を、自ら深めていかざるを得なくなる過程に読み応えがあった。その意味で奇妙な遭難事件を題材にした本書は著者の新境地であると同時に、「探検家・ノンフィクション作家」という肩書を持つ一人の書き手が、出会うべくして出会ったテーマなのだと感じた。
『プリズン・ブック・クラブ コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』アン ウォームズリー 著
刑務所の読書会運営に携わったカナダの女性ジャーナリストによるノンフィクション。殺人や強盗などで服役する受刑者に囲まれ、当初は恐る恐る関わっていた著者だが、受刑者たちと交流するにつれ、のめり込んでいく。
参加者が読書を通じて切実に人生に向き合おうとするから、「刑務所の単なる読書会の記録」にならず、読み手を惹きつける。受刑者の一人は会話といえば犯罪自慢ばかりの現実からの唯一の逃げ場であったと振り返る。別の参加者は「おもしろいだけの小説にはもう興味がない」と語る。罪を犯した経験から発せられる言葉は重みがある。 取り上げる本は、日本では馴染みのない本もあるが、読みたくなる。自由が制限される中で必死に読み込み、感想を述べているのだから、面白くないわけがない。
