『奇蹟がくれた数式』インドの天才数学者ラマヌジャン伝記映画を見て。 | ・・・   旅と映画とB級グルメ と ちょっと本 のブログ

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『奇蹟がくれた数式』インドの天才数学者ラマヌジャン伝記映画を見て。

 


監督 マット・ブラウン

 


1914年、英国ケンブリッジ大学G.H.ハーディ教授のもとに、遠くインドから一通の手紙が届く。差出人はマドラス港の事務員ラマヌジャン。手紙には驚くべき“発見”が記されていた。生まれも境遇も全く違う二人の天才が出会い、世界を変える<奇蹟の数式>を証明した実話が映画化。独学で数学を学び、“アインシュタイン並みの天才”と称えられたラマヌジャンと、ケンブリッジの最高峰トリニティ・カレッジで共同研究に人生を懸けた、もうひとりの天才が発見した、人生で最も素晴らしいものとは?
数学という情熱を注ぐ共通の趣味のおかげで、宗教や人種や文化の壁を超える、友情と協力の実話に基づく物語。数学が嫌いな人でも感動できる素晴らしい映画だ! ピーター・フランクル(数学者)ハンガリー生まれの大道芸人数学者
ハンガリーの数学者のエルデシュのなかで「放浪の数学者エルデシュ」ラマヌジャンの話がでてくる。
数学者に点数をつけるとすれば、「自分は25点、リトルウッドは30点、ヒルベルトは80点、ラマヌジャンは100点」であるという[1][2]。また様々なことをクリケットに例える癖があったハーディは、アルキメデス、ニュートン、ガウスらを「ブラッドマン級」と呼び、ラマヌジャンはそれと並ぶ天賦の才と称している。
エルデシュがハーデイに数学に対してあなたが行った貢献でいちばん重要なものはなにか、尋ねると、「ラマヌジャンを見いだしたことだ」と即座に答えた。
タクシー数[編集]
ラマヌジャンの逸話として有名なものの一つに次のものがある。
1918年2月ごろ、ラマヌジャンは療養所に入っており、見舞いに来たハーディは次のようなことを言った。
「乗ってきたタクシーのナンバーは1729だった。さして特徴のない数字だったよ」
これを聞いたラマヌジャンは、すぐさま次のように言った。
「そんなことはありません。とても興味深い数字です。それは2通りの2つの立方数の和で表せる最小の数です」
実は、1729は次のように表すことができる。
1729 = 12³ + 1³ = 10³ + 9³
すなわち、1729が「A = B³ + C³ = D³ + E³」という形で表すことのできる数 A のうち最小のものであることを、ラマヌジャンは即座に指摘したのである。
第一次世界大戦下の激動の時代に、全てが正反対の二人が、文化と個性の違いに葛藤し、やがてそれを乗り越えて、かけがえのない絆で結ばれていく。歴史に名を残す二人の天才数学者が、今この時代に生きる私たちに、年齢や肌の色、生き方や信じるものが違っても、人は互いを思いやり、愛し合えることを教えてくれる。輝かしくも美しい二人の友情を描く涙の実話。