画文集 『バウルの歌』 秋野不矩 持って インドを旅する⑭ パトナ ガンガー 「深夜特急3」 | ・・・   旅と映画とB級グルメ と ちょっと本 のブログ

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「深夜特急3」沢木耕太郎著 パトナ
 
  

パトナ行きの鈍行列車に乗った〈私〉は、そのあまりの混雑ぶりに仰天しますが、人々のやさしさに触れ、三等に乗ってみてよかったと思うようになります。ブッダガヤでボランティア活動に参加したりします。

パトナからネパールへと向かう時には、無賃乗車で罰金込の料金を請求されます。(イギリス式だから、チケットがないとだめなんだね。インド市バスなどでは後でチケットを買うし日本人は後から切符買ってもJRで罰金はないよね)

ネパールからインドへ

午前6時、カトマンズという「秘密の花園」からバスは下界へ出発した。の

陽気な運転手は対向の車線の顔見知りが運転する車がやってくるといちいち車を止め、窓から身を乗り出すようにして世間話を始める。後続の車がきて、クラクションを鳴らされるまで止めようとしない。乗客は辛抱強く待っている。

行きに比べればいい分だけ楽だった。

ダマンの峠からはヒマラヤの白い峰々が明るい陽光に輝いているのが見えた。しかし、バスはボロのため、トラブルは容赦なく起きた。途中でエンジンがかからなくなったり、また乗客が力を合わせて押さなけなくてはならなかったのだ。・・・・。

 それでもともかく十時間後にはネパール側の国境の町ビルガシに到着した。

 再びリキシャで国境を越え、インド側の町ラクソールに入った。・・・・。

ラクソールの駅前では、南京虫の巣窟だったロッジの客引きが相変わらず調子よく旅人に声を掛けている。私の顔を見ると覚えていたらしく、

「今夜も泊まりなよ、フレンド!」

などとニコニコしながら言う。南京虫は仕方がないが、この国境は夜も通行可能であるにも関わらず「クローズ、クローズ」と嘘ついて泊はまらせようとした。初めての国境越えで事情を知らない私は騙されてしまった。・・・・そんな奴に二度も儲けさせてやることはない。時刻は夕方の六時半。無理をしないでラクソールに泊まってよかったのだが、私は勢い余って夜行列車の切符を買ってしまった。

 上がりの列車は八時に出るという。私はプラットフォームに腰を下ろし、チャイを飲みながら待つことにした。

 八時を過ぎても列車が姿を現さない。しかし、私は別に心配もしていなかった、インドでは、ただ待つしかないのだ。いつかはプタットホームに入ってくるだろう。そんなことを思っているところに、私と同じザックnを背にした白人の若者が近づいてきて、言った。

「あなたはどこに行くの?」

「パトナ」だけど」

私が答えると、彼は助かったというような表情を浮かべた。

「パトナ行きに乗るにはここで待っていればいいだろうか」

その白人の若者もパトナへ行くらしい。

「多分」

私が曖昧な返事をすると、彼は不安そうに言った。

「八時の列車がまだ来ない。どうかしたんだろうか」

「さあ・・・・」

「もう八時半になる」

三十分くらいの遅れで心配することはない。そう言おうと思ったが、私にしても確かなことは何一つもないのもわかっていたのだ。

「そんなに心配だったら、駅員に聞いてくればいいのに」

「訊ねたんだ。もうすぐ来るといっていた」

「それなら心配することはないじゃないか」

「でも、それが八時のことだった」

若者はよほど心配性かインドの旅にまったくなれていないのかどちらかだろう。

・・・・。

彼が問わずに語りしゃべったところによれば、イギリスはスコットランドの片田舎の少年でニュージーランドの農場で働くために故郷を飛び出してきたという。ヨーロッパをヒッチハイク、中近東をバスで走りインドに入り、カトマンズに立ち寄った。これからパトナまで南下し、カルカッタに向かい、さらにバンコクへ渡るということだった。

私と彼は互いに辿ろうとしている道が反対に進んできてちょうどここでクロスしたというわけだ。彼の名はアランと言った。

 八時の電車がプラットフォームに入ってきたのは九時半だった。まず私やが飛び乗り、降りる人をかき分けて中に入り、座席の上の荷台を二つ占拠した。荷物を置くためではなくもちろん寝るためだ。

アランも後からやってきて、

「どうもインドの汽車ってのは苦手なんだ」

・・・荷台によじのぼってきた。

列車が動き出したのはそれから一時間後。うとうとしかけると、車掌に叩き起こされる。

降りろ、と言うのだ、午前一時、パトナに着くような時間ではない。どうやらここで乗り換えなくてはいけないらしい。ところが、プラットフォームの反対側はで待っている列車は、デッキまで人が溢れている。

 その超満員の様子をみたアランはすっかり怖気ついてしまったらしく、次の列車にとしようよ、と泣き言を言う。しかし、インドの列車に「次」などいうものはないのだ。・・・。

俺は乗るぞ、と言い残し、ひとりで満員の車両の中に突っ込んでいった。

しばらくは床に足がつかないほどの混みようを我慢しなければならなかったが、一時間ほどするとすぐそばにいた一団がどっと降りた。・・・・。どうやら眠るくらいの空間ができた。

再びうとうとしていると、・・・・みな降りていく。午前三時、パトナにはまだ早い。やってきた車掌に訊ねると、この駅で車両の半分を切り離すという。・・・。私の乗っているのは切り離される車両だった。

 降りていくと、アランも隣の車両から眼をショボショボさせて降りてくる。彼も必死に列車に潜り込んでいたのだ。

 こちらは本格的な夜行列車で、先客によって寝る場所はすべて占拠されていた。・・・・。

仕方なく、私はあいている床の微かに空いている隙間にシュラフ敷いて横になった。

それを見て、「インドはもういやだ。早くバンコクへ行きたいよ」と言いながらアランも同じようにシュラフ敷いて横になった。

 途中、故障で一時間ほど立ち往生し、パレザ・ガートにたどり着いたのは午前十時だった。十二時間も満員列車に揺られ、ススと疲労で互いにひどい顔になっている。

 そこから大きな汽船に乗ってガンジス河を渡るとようやくパトナである。船は来た時と同じように一時間ほどかけ斜行していく。

 思いっきり手足が伸ばせる幸せを味わいながら、甲板に座ってチャイを飲み、河を渡る風に吹かれていると、カトマンズからの三十時間に及ぶ強行軍が、もうすでに楽しかったものと思えてきそうになる。なんと心地よいだろう。その気持ちを言い表したいのだが、どうしても適切な言葉が見つからない。

すると、放心したような表情で空を眺めていたアランがぽつりと言う。

Breeze is nice ”

うまいなあ、と思う。ここまで深夜特急より
 
 
 

現在はマハトマガンジー橋がある。

対岸のまち霞の向こうだパレザ・ガート

コルカタ→マドバニ村 深夜特急 
 
 
 
 
 
パレザ・ガートを通る列車でした。