画文集 『バウルの歌』 秋野不矩 持って インドを旅する ⑩ シャンチニケータン | ・・・   旅と映画とB級グルメ と ちょっと本 のブログ

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シャンチニケータンの朝の散歩




食器を洗う人


サンタルの住む村

大学前の郵便局

大学の美術館
 ここで秋野不矩の大学教師時代の作品がないか尋ねたが時間がなくてすぐにはわからなかった。日本画の作品もかなり収蔵しているようでした。


そのような車座があちらにもこちらにも見られる。

現在はディアパークという自然動物園になっているが、ずっと昔平原だったことを思い出す。


「落日」秋野不矩   自然動物園が平原だったころに描かれて「落日」ではないでしょうか


ビスバーバラティ大学
暑いですがまだ。スコールにあって歩けなくなるほどではありません。
シャンチニケータン
1961年7月、雨季もなかば過ぎたベンガル州カルカッタ西方80マイルのボンプールに到着した。シャンチニケータンは、駅から二マイルほどで、私は初めて力車(輪タクのこと)に乗った。自動車で走るより、この自転車ぐらいの速度がとてもよい。腰掛けた位置も高く、これから住まうシャンチニケータンの景色をのんびり眺められた。辻は自然な力学でふわっとユラリと曲がる。とても乗り心地がよくて、申し訳ないほどに安かった。
シャンチとは平穏、あるいは平和、ケータンは村、住まう処の意である。
『シャンチニケータン』はタゴールの父によって見いだされ命名された地で、彼も子供時分からこの地に親しんでいた。そこには非常に古いインドの種族サンタルの住む村で、川があり沼があり森ありの平原で、さぞ二千年も前からこうであったろうと思われた。
タゴールは、教育というのは鞭などを使って強制して教えるのではなく、青天井の下、大自然のなかで隠者の説教を聞くように学ぶのを理想と考えていた。
そして自分の子供が学齢期に達した時、その息子の知人の子弟被七人を集めて、この地で寺子屋式の教育を始めた。1901年のことである。
ノーベル文学賞の基金としてビスバーバラティ大学を創立する。
2マイル四方の広大な敷地にインド式 家屋。マンゴーの木の下には白いベンガリ服を着た教授が座り、学生たちは車座になり、黒板を一枚立て野外の教室としていた。そのような車座があちらにもこちらにも見られる。
画文集 バウルの歌より

おじさんも ここで始めて力車に乗りましたが。乗り心地は最高でした。しかし、3時間で500ルピーはぼったくられたようです。 これも勉強ですね。