オトー・ドフ・クルカ著/壁谷 さくら 訳
ユダヤ系の歴史学者である著者は、十歳のころ、アウシュビッツの「家族収容区」へ入れられた。長い年月を経て、はじめてその経験を語ったのが本書だ。
「家族収容区」は、赤十字の査察団の目を誤魔化(ごまか)すための施設で、大人と子どもが一緒に暮らし、私服を着ることが許された。歴史の授業も、劇や合唱(「歓喜の歌」!)の練習時間もあった。だが査察が終われば、半年後には全員がガス室に送られる。その運命を、みんな知っていた。著者はたまたまジフテリアに罹(かか)り、病棟に移されたので、ガス室送りを奇跡的に免れた。
1978年、ポーランドの国際会議に出席した私は、アウシュヴィッツに向かう。そこは「死の行進」で歩いた道だと不意に気づく。ガス室と焼却炉のあった場所に向かう。ほとんどの知人や友人はここで殺された。偶然、私は助かったが、今でも時おり、ガス室へ続く階段を降りる夢を見る。一九四三年、私と母はアウシュヴィッツに送られ、そこで父と再会する。ここは例外的に教育や合唱指導も行われていた。第九の「歓喜の歌」だった。なぜ、人間の愛や尊厳を称える歌を選んだのだろう? 焼却炉からはいつも煙が上がっていた。1944年の夏、ビルケナウで見た真っ青な空と銀色の飛行機の美しい風景が忘れられない。私は死の支配する世界から、今も逃れられずにいる……。
鉄条網に本当に電気が通っているのか、友だちと試して遊んだ記憶。病棟で死の床にあった青年から、ドストエフスキーの『罪と罰』をもらい、貪(むさぼ)り読んだこと。遺体を燃やす煙が煙突から絶え間なく上るかたわらで、収容された人々はなんとか楽しみを見出(みいだ)そうとしつつ、期限付きの「日常」を送っていた。絶望のなかで、子どもたちに大切なことを伝えようとするひとも、たしかに存在した。
アウシュビッツの悲惨で残酷な実状は、これまでにも多くの書物が伝えている。本書も淡々と収容所内での生活を語るのだが、そこには不可思議な「美」と「郷愁」が感じられる。
著者は、少年の日にアウシュビッツで見た夏の青い空を、美しい永遠の風景として心に刻み、何度も何度もそこへ還っていく。「すべてを支配する大いなる死が隆盛を極める中で感じる美から、逃れるすべはないのだ」
この本の主人公も この靴の中に多くの宝石や貴金属が隠されそれていたと証言しています。、持ち去ったドイツ人の話は 前回紹介した『ナチと理髪師』の中にもでてきます。
死と隣り合わせの中で「歓喜の歌」の歌を唄う彼はどんなおもいだったのでしょうね。
今までに無い。静かなアウシュビッツの回想録です。


