『ポーランドに殉じた禅僧 梅田良忠 』と『ワルシャワ貧乏物語』を読んで②
『ポーランドに殉じた禅僧 梅田良忠 』は『ポーランドに殉じた禅僧 梅田良忠 』と『ワルシャワ貧乏物語』を読んで①あります
『ワルシャワ貧乏物語』は『ポーランドに殉じた禅僧 梅田良忠 』と『ワルシャワ貧乏物語』を読んで②にあります。
『ワルシャワ貧乏物語』工藤久代著
著者の夫はロシア・ポーランド文学者の工藤幸雄で夫のワルシャワ大学への赴任を機に1967年から1974年までいたワルシャワでの生活を書いたのがこの本です。
40代でのワルシャワ生活。慣れない環境に不自由する言葉。もともと楽天的、そして知的好奇心旺盛な著者はワルシャワの生活に溶け込んでいきます。
タイトルがなぜ”貧乏生活”なのかといえば、少ないとはいえ大使館員、商社の駐在員の給料に比べ夫の月給は安く月3600ズロチ。日本円に換算すると36000円。通信社の通信員というアルバイトも兼ねて月45ドルの収入もあったとはいえ生活に工夫をしていかねばならなかったようです。
でも、家の向かいに住む子どもを4人育て上げたおフミさん(フェミレフスカさん)と不自由なポーランド語を駆使しながらもコミュニケーションを成立させ、彼女にワルシャワでの生活のノウハウを教えてもらい帰国するまで工藤家の強力な助っ人となる人も得ます。
不自由な言葉に「え?言っている意味がわからないよ」と言われひるむ毎日。わからないながら「わからない」と否定するのではなく、じっと理解力と忍耐を持って聞き入ってくれる人がいるというのは大変心強く、言葉を得る上でも大事なことのように思います。
また中々思うように手が入らない、もしくは日本から送ってもらうと運送料が高価な日本食を現地で補う苦労は、苦労の果てに喜びさえ感じ、この臨機応変な逞しい料理熱に刺激されます。実際、私は生麩を作りたくなり毎日生麩のことを考えています(笑)。大根(スエーデンカブだよね)があると聞きいてもたってもいられずクラクフに飛んだとか、缶詰に書かれているニシン工場の住所に行って数の子を分けてもらうとか、市場巡りをして大豆や海老、イカなど食べなれた物に偶然出会うとか。日本人が少ないという事情に加え、物が不足していた社会主義時代での創意工夫は面白いものです。この熱意は現代のそれぞれの生活にも応用できます。
さて、著者は2度目の結婚で最初の夫は戦前からワルシャワ大学日本語学科で講師をしていた梅田良忠。その夫との間にできた息子・芳穂は14歳で前夫の遺言によりポーランドへ留学することになります。芳穂はポーランドで結婚し子どもをもうけ、その後はワレサ委員長の連帯に関与、また時の法王ヨハネ・パウロ2世に特別謁見を許され後に法王が祖国訪問するきっかけを作ったとのこと。
アカデミックな家庭と切り捨てるのは簡単ですが、14歳にして亡き夫の遺言を守り子どもをポーランドへ送りだし、息子の人生がポーランドの近代史に日本人ながらリンクしていく様子に一つの思想の結実を見る思いがします。
おじさんが好きなワルシャワのまち
市電
川から旧市街
この2冊の本を読んでワルシャワに行ったときに梅田家の人々の足跡を訪ねてみたくなりました。

