『ポーランドに殉じた禅僧 梅田良忠 』と『ワルシャワ貧乏物語』を読んで①
『ポーランドに殉じた禅僧 梅田良忠 』梅原 季哉 著
ヤルタ会談以前にソ連参戦の情報を入手した男がいた! 公使館員、特派員としても活躍した男はスパイなのか? ポーランドを愛し、生涯を捧げた一人の歴史家の、数奇な生涯。
第二次世界大戦当時、ポーランド中心に東欧諸国で、日本大使館や朝日新聞社で働き、各国からはスパイとして監視対象となっていた梅田良忠の物語です。
ポーランドと日本はロシアと隣国という。以外には共通点はあまり見られませんが。日露戦争に勝った日本はポーランドの人々にとって興味のある国だったのではないでしょうか?
最近になって良く知られてきた事実ですが、1920年前後に日本は、世界から見捨てられたシベリアのポーランド難民に手を差し伸べ、手厚く日本で介護してポーランドへ帰国させました。そうした事実もあり、当時の日ポ関係は良好で、また両国ともソ連の出方に運命を左右されるという点で共通の関心がありました。
ヤルタ会談でスターリンが日本への参戦を約束した事実は、ポーランド亡命者ルートでスウェーデン駐在武官小野寺信に伝わったものの、ソ連に終戦の仲介を期待していた軍部はその重要な情報を抹殺したとされています。しかし、実はヤルタから2年も前のテヘラン会談で既にスターリンが対日本参戦の方針を明らかにしていたことを梅田は掴んでいました。一体どうやって、という謎解きを軸に、梅田のポーランド愛の遍歴が語られます。著者は朝日新聞社勤務ですが、たまたま梅田のことを知り、様々な関係資料や生き残っていた当時の関係者の証言から梅田の人生を辿っていきます。
禅宗を学び、ポーランドのカトリック教徒に強い共感を抱き、ポーランド女性を愛し、帰国後は中学生の息子をポーランドへ送り、その子はワレサの「連帯」で働くことになる。
梅田良忠は弁護士だった父親を早く亡くしたためお寺の小僧さんとして修業したらしい。
曹洞宗大学へ入学(今の駒沢大学)禅僧のエリートであったらしい。成績優秀であった梅田は財閥の援助によりドイツ留学へと向かった(直ぐに財閥のからの援助が打ち切られた)。欧州へ向かう航路で友人となったポーランド人の援助によりポーランドへ留学することになる。
1926年より28年までワルシャワ大学で教鞭を取った梅田良忠氏は、ポーランドにおける最初の日本語講師として知られている。
ここより 本の扉
テヘラン会談で、「ドイツが降伏した後、ソ連は対日参戦する」という機密を入手した日本人がいた。その男の名は、梅田良忠。ポーランド語をはじめとする外国語の達人である彼は、ある時は外交官として大物と渡り合い、またある時は特派員記者として戦地からリポートを送った。誰もが振り返るような美女を連れ、バイオリンを弾き、詩をものした男は、なぜ日本人でありながら、ポーランド人として死ぬことを願ったのか―。第二次大戦下の欧州で、インテリジェンスの世界に身を投じた男の波瀾に満ちた生涯。
本扉より。
ソ連の参戦を知っていたら日本はもっと早く終戦を迎えていただろうか?と考えさせらせる一冊でした。美女を連れ、バイオリンを弾き、詩をものした男いうところが日本人離れした人物として面白い。
おじさんの旅思い出
列車のなかで気軽の話しかけてくるのは東欧の人々のなかでポーランド人々でした。夜のワルシャワ駅は危ないから親切のタクシーに乗せて安いホテルへ連れていってくれました。
帰国後は 梅田良忠(関西学院大学教授、東欧史専門)
『ポーランドに殉じた禅僧 梅田良忠 』と『ワルシャワ貧乏物語』を読んで②につづく

