ハノイ駅
8/12ハノイ夜行列車を待つ間、カフェでバンミーを食べる。
魚のミンチフライ(さつま揚げみたい)挟んだバンミーをたべた。
19:00発のサイゴン行SE1号列車に乗る。
寝台の三段の一番上の段の寝台が取れた。
夜行列車は、キャパが最後に訪れた町。ナムディン通過した。
おじさんは、「ロバート・キャパ最期の日」 横木安良夫を読む。
「ロバート・キャパ最期の日」 横木安良夫
戦争の写真とは何だろう。なぜ写真家は戦争の写真を撮るのだろうか。
一番の理由hはそれが仕事になるからだろうか。戦争の真実を伝えるため。
いや写真に真実なんて写りはしない。目の前に起きていることを記録するだけだ。
それが真実だなんておこがましい。そんなことを、キャパはよく知っていた。
キャパは誰かに見せることより、まず自分が見ることを大切にした。それは使命感を
持った報道カメラマンとはどこかが違っている。(本文より)
おそらく世界で一番有名な写真家の一人、ロバート・キャパ。
第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦をはじめとする写真や、
その著書「ちょっとピンぼけ」(文春文庫)に影響を受けた写真家は数え切れない。
1954年5月25日、キャパはインドシナの戦地で地雷を踏み、左足を吹き飛ばされて
死亡する。写真家が最期に見たのは、どんな光景だった
のだろうか?自分自身も写真を職業にする横木さんは、キャパが最期に訪れた場所を探し
ベトナムへの旅を繰り返す。土地の名前も変わっている中、当時のことを知る現地の人たちの交流から浮かびあがる写真家の最期の一日に、心を動かされ本。
沢木耕太郎が「一号線を北上せよ」のなかでキャパが遭難した場所を探し求めてついに発見できずにハノイに戻ったことを書いていた。その文章を読んだ時、それだけインドシナ紛争は歴史の彼方に去りつつあると感じたのだった。
本書を読んで。
その後に横木安良夫が キャパの最後の地を発見して終わる。キャパが何故インドシナ戦争を取材するに至ったのかの謎は残る。もう一度、戦争カメラマンとして表舞台にたってみたいと思っていた。キャパがいたのではないでしょうか。
ベトナム ナムディン近郊、 兵士がバイクで 戦場へ キャパはそれを追っているのでしょうか?
この写真は右の男女がキャパとゲルタ スペイン内戦の写真を撮影するために戦場むかっている所です。
ナムディン近郊の墓地。 キャパの最後の戦争写真。の一つ。
8/13日朝
朝食のお粥を売りに来る
さて 、この川はベンハイ川。ベトナム中部の川。アンナン山脈に発源し,ほぼ北緯17度線に沿って東に流れ,南シナ海に注ぐ。延長40kmの小さい川です。
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ベトナムにおける軍事境界線(ぐんじきょうかいせん、英語:Vietnamese
Demilitarized Zone)とは、南ベトナム(長年に亘りベトナム共和国)と北ベトナム(ベトナム民主共和国)を分けていた場所。
第一次インドシナ戦争の停戦ラインであり、1954年7月21日のジュネーブ協定により発効した。ほぼ北緯17度線に沿っていた。大部分はベンハイ川が境界となっていた
(一緒に乗っていたベトナム人の人にベンハイ川の場所を教えてもらったので写真が撮れた。)
国道1号線ここをバスで北上する旅が「一号線を北上せよ」沢木耕太郎旅です。
もうすぐフエの町。