「昆布と日本人」を読んで。 羅臼昆布漁の思い出。 | ・・・   旅と映画とB級グルメ と ちょっと本 のブログ

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おじさんが現在宿泊中のいわきの湯本温泉旅館の朝食にはとろろ昆布の汁がでます。(味噌汁が食べたい人には不評ですが)昆布の香りのするこの汁は樽廻船(江戸時代の北海道との貿易の太平洋航路)寄港地だった小名浜港が近いから昆布文化が残っている残っているのだろうと思っていました。樽廻船東回りルート(箱館→松前→青森→八戸→宮古→気仙→石巻→荒浜→小名浜→平潟→那珂湊→銚子→小湊→下田→浦賀→江戸)
「昆布と日本人」を読んで。
明治維新で倒幕資金の源になった、山の養分で味が決まる、ヴィンテージの仕組みはワインと同じ...。
知っているようで、意外に知らない「母なる海産物」の魅力・秘密の数々。
創業140年を誇る昆布商の主人が歴史から、「うま味」の本質、おいしい食べ方まで、昆布の興味深い話をていねいに伝えます。
3本の干し昆布を並べただけという何とも飾り気のない本だが、なかなかどうして読ませる一冊。さながら、140年を誇る昆布商の主人が語る「昆布民俗学」の決定版と呼べるほどの充実した内容だ。

この黒くて地味な昆布、実は日本の近代化にも一役買っている。古くから蝦夷地で食されていた昆布がポピュラーになったのは江戸時代後半。松前(北海道)と大坂を往復しながら物資の売却をする船は「北前船」(きたまえぶね)と呼ばれ、その船荷の中で重要な地位を占めたのが昆布だった。 

江戸城の修築、木曽川治水工事など、幕府から莫大な出費を命ぜられたうえ、領地は火山灰地で農業の生産性も低く、常に財政は火の車―18世紀、そんな薩摩藩が目をつけたのが昆布だった。鎖国下にありながら、外様大名の薩摩藩は琉球王国とまず貿易を行い、その後、琉球王国と朝貢貿易を行っていた清国(中国)といわゆる「抜荷」(ぬけに)とよばれる密貿易を始める。 平田靱負の銅像この公園でよく遊びました。

(おじさんが子供時代よく遊びに行った鹿児島市平之町の祖父家の近所に平田公園があった。ここにあった銅像の人が平田靱負が木曽川治水工事を行った人でした。宝暦治水とは、1753年徳川幕府は琉球との貿易によって財力を得ていた薩摩藩を恐れて、毎年氾濫による被害が多発していた木曽三川の分流工事を薩摩藩に命じる。工事費用は薩摩藩が全額負担、大工などの専門職人を一切雇ってはならないとした。薩摩藩は最終的に病死33名、自殺者52名という多大な殉職者を出している。木曽川分流工事は着工より1年3ヶ月ほどでようやく完成したが、平田は藩への多大な負担の責任を取り自害した。)実際は幕府は琉球貿易の薩摩藩の琉球王国と朝貢貿易の利益得を吐き出させるために木曽川治水工事を命じた。なっていますよ。)

そこで中国から求められたものが実は昆布だった。内陸部に住む人々は慢性的にヨウ素が不足し、甲状腺の病気を患う人が大勢おり、ヨードやカリウム、カルシウムなどミネラル豊富な昆布が求められたのだ。琉球貿易海産物の輸出品。いりこ(干しなまこのこと)・干あわび・ふかひれの俵物3品と昆布・鰹節、そして、するめ・とさか・心太草(ところてんぐさ)・干海老など、中華料理にとって必須の原料である。これらの海産物の中で、いりこ・干あわび・ふかひれ・昆布は、薩摩が琉球貿易で得た薬種を供給することの見かえりとして、富山の薬売りに蝦夷地などから集めさせたものであり、他は薩摩に産するものであった。 現在でも海鼠の密猟が日本近海で多く発生しているのは中国への密輸のためといわれていますね。現在でも北海道産エゾアワビの乾鮑は中華料理ではたいへん高価でかつ珍重されています

しかし、地理的にも産地から遠い薩摩藩が昆布を容易には入手できない。そこで白羽の矢を立てたのは同じ外様大名である加賀前田藩領内の越中・薬売り。薩摩藩は領内での営業を認める交換条件として、蝦夷地の昆布の提供を求めたのだった。

倒幕の立役者となるほどの実力をもつ昆布だが、もちろん日本で昆布が食べ継がれてきた理由はそのおいしさにある。

昆布の「うま味」成分であるグルタミン酸は、実は母乳のなかにも豊富に含まれている。我々が昆布の「うま味」に懐かしさを感じるのは、生まれてすぐ口にする母乳のうま味がすり込まれているからなのだろう。

昆布の「うま味」が発見されたのは1908年、昆布で取った湯豆腐のダシのうまさに感動し、池田菊苗博士
その成分を突き止めることを思い立ったのは東京帝大の化学教授であった池田菊苗博士の手による。これに続き、1913年には旧東京帝国大学の池田博士の弟子の小玉新太郎が鰹節のうま味成分のイノシン酸を、1960年にはヤマサ研究所の研究員、国中明が干し椎茸のうま味成分としてグアニル酸を発見。いまやUMAMIは海外トップシェフの共通言語となっているが、代表的なうま味成分のすべてを日本人研究者が発見したことからも、日本人は「うま味の先駆者」であると言えよう。

味という点において昆布とワインには驚くべきほど共通点が多い、というのは昆布商である著者ならではの斬新な視点だ。

ぶどうを育てワインを造る農業と、海から昆布を収穫する漁業は、共に大自然からの恩恵を多く受けている。ワインを造るぶどうの樹は、土壌や気候風土(テロワール)に合う最適な品種を植える。

昆布の場合も、それぞれの地方で異なる品種の天然昆布が育つ。昆布の生育には、潮の入り、河川の流れ、日当たりなど自然環境が大きく左右する。とくに上質な昆布が生まれる「別格浜」と呼ばれる場所は、目と鼻の先の浜と続いていても昆布の質が全く違うという。細い道一本隔てたぶどう畑でも、仕上がるワインの味わいが全く異なるのとそっくりだ。

さらにワイン同様、昆布も収穫される土地の地名で流通する。ブルゴーニュ地方のジュヴィレイ・シャンベルタンではないが、知床半島では「羅臼昆布」、宗谷岬では「利尻昆布」という具合に産地名で呼ばれ、それぞれ味わいの特徴が異なり値段まで決められる。

そのうえ、ワイン・昆布のどちらにも「格付け」がある。ワインには、グラン・クリュ、プルミエ・クリュ、ヴィラージュもの、といった格付けがあり、昆布には「別格浜」「上浜」「中浜」「並浜」といったクラス分けが昆布の各産地で細かく決められている。

しかもどちらも天候によって出来が左右される。昆布にも「ヴィンテージ」が存在し、出来のいい年と、逆に天候に恵まれずに収穫量の少ない年があるのだ。ちなみに、ワインにはボジョレ・ヌーボーのように新酒を楽しむ文化があるが、昆布の場合はどんな種類の昆布も、収穫直後より少し月日が経ったほうがおいしくなる。「蔵囲(くらがこい)昆布」。歴史的に昆布の集散地だった敦賀では、昆布商の蔵で熟成させて出荷した昆布をそう呼んだ。奥井さんによると、とれたての新昆布よりも寝かせた昆布の味を関西の料理人たちは喜ぶのだそうだ。
 熟成昆布は歴史や気象条件が育んだ。第1章の「昆布が礎となった日本の近代化」は、敦賀が日本海交易の北前船の寄港地として「昆布ロード」の一角を占めた歴史を振り返る。夏に北海道で積み込まれた新昆布は敦賀で一冬を越し、京都や大阪に琵琶湖を経由して運ばれた。当時は積雪量が多く、冬の運搬が不可能だったからだ。それが熟成昆布につながった。
 ところが戦後、流通の発達で在庫リスクが忌避され、蔵で熟成させる伝統が廃れた。一方で、奥井海生堂は1992年に昆布蔵を復活。昆布蔵には四半世紀を経た「ビンテージ物」も貯蔵されている。数年寝かした昆布は関西の料亭を中心に、フランスの三つ星レストランにも出荷される。

また、昆布の栄養価には驚くべき健康効果が秘められている。海で育った昆布は、海のミネラルを豊富に蓄えており、しかも昆布のミネラルは体内への消化吸収率がよく、その80%が吸収されると言われている。

昆布はカリウム、鉄分、ヨウ素(ヨード)などのミネラルや食物繊維が豊富で、とくにヨウ素は海藻のなかでもずば抜けて多い。ヨウ素は、成長や代謝を促すホルモンを作る、人の甲状腺ホルモン構成の一元素。ヨードは甲状腺から分泌されるホルモンの主な原料で、体を作る細胞の新陳代謝をスムーズにし、昼に潤いや張りを与え、肌を美しく保つことにも役立つ。

昆布の炭水化物成分50%のうち20%は食物繊維、残りの炭水化物成分に含まれるアルギン酸はぬるぬるしているのが特徴で、ストロンチウムやカドミウムのような有害元素を体外へ排泄する働きがある。このアルギン酸が高血圧の予防に一役買っていることも解明されてきている。
昆布に約1%含まれる多糖類のフコイダンは、動物実験でがん細胞の減少やがん抑制効果が確認されている。フコイダンにはがん細胞のアポトーシス(細胞の自殺)を引き起こす作用があることが報告されている。
栄養素が豊富に含まれている昆布は、胃の中で水分を吸収して量が増えるため満腹感を味わえ、なおかつ低カロリーなので理想的なダイエット食品といわれている。食物繊維やカルシウムも豊富、さらにカリウムの塩分(ナトリウム)排出作用やマグネシウム摂取により心筋梗塞・脳卒中が起こりにくくなるなど、昆布の健康効果のオンパレードには目を見張るばかりだ。
北海道の最北端、利尻島の沓形浜、礼文島の香深浜、船泊浜などが利尻昆布の代表的な浜です。これらの浜は、汐の流れ、水温、陽ざし、流れ込む河川の条件、背後にそびえる山、そして広い昆布の干し場などすべての自然環境に恵まれています。(礼文島には大学生の一年生の夏休みに北海道を一周したときに訪ねたことがあります。島を半周するトレッキングコースは当時は北海道で一番の人気コースでした。石の浜に昆布が並べてあった。記憶があります。)
その他、昆布のおいしい調理法や、消費地と昆布の種類の関係の謎(京の利尻昆布に東京の日高昆布、富山の羅臼昆布)、昆布商140年から見た昆布産業今昔物語など、他にも本書には興味深い話が盛り沢山。正月のおせちが久しぶりの昆布だったという方や、日ごろ昆布にお目にかかるのはコンビニのおにぎり具材くらいという方にも、ぜひこの一冊を通して昆布の底力を知っていただきたい本です。「昆布と日本人」著者。福井県敦賀市の昆布商「奥井海生堂」社長の奥井隆さんは言っています。
羅臼昆布漁のアルバイトの思い出。国後島爺爺岳
おじさんは、むかし(20年ぐらい前)、7月上旬に羅臼のキャンプ場で昆布漁のアルバイト募集しりました。知床の赤岩で昆布漁のアルバイトをしたことがあります。ここでとれるのが羅臼昆布です。(北海道で最後に残された最果ての秘境といわれる知床半島の先端の赤岩より羅臼市街の標津にかけてとれるラウス昆布は昆布の王様と称されるほど、こくのあるだしがとれ、塩昆布にしても、うまみをたっぷり含んだもっちりとした食感があり、そのままかじっておやつ昆布になるほどあらゆる用途で評価の高い超高級昆布です。) 知床岬まで歩いて1時間半です。

知床の岬の先端に一番近い羅臼側の海岸浜が赤岩です。ここには、当時三軒の昆布漁をする番屋がありました。目の前には根室海峡を挟んで国後島の噴煙をあげる爺々岳が見えます。
そこの赤岩前の番屋でアルバイトをしました。バイトは昆布のカンバ(干し場)の整備から始まりました。まずは、石の浜に生えた植物を抜く作業で、次に浜の石ころを平らにするために石ころを移動して平らな昆布カンバ(干し場)を作る土木作業を何日もつづけました。ボロボロの一輪車に石を積んでは、移動を繰り返す体力しごとでした。小石をひき詰めて作られた場所はゴミひとつない。綺麗な干し場作りは大変な重労働でした。
雨の日は昆布を吊るす昆布を吊るす乾燥室の整備。吊るす道具のセッテイングをしました。海が荒れた日の後は、浜に昆布が打ち上げられてきます。それを拾うのが、
拾い昆布漁です。これは、漁期がないので春先から一人でも行える漁です。ここの番屋にも拾い昆布をするために6月から一人で番屋に入っている人がいました。これは、天然昆布だけです。
本来ならこのようにカンバと呼ばれる昆布を天日で干すためににカンバいっぱい昆布を干します。
7月中旬に昆布の成長が確認されたら、解禁日が着参ります。おじさんがいた時には解禁日は7月20日でした。
羅臼昆布漁の解禁初日を「かぎおろし」といいます
漁はAM6:00から始まります。昆布漁が始まる知らせのが朝6時きっかりに鳴り響く。赤岩では開始告げる。笛の「ピー」「ピー」と大きな音が浜全体に響きます(おじさんは、この仕事担当でした)。浜のポールには漁の解禁中を告げる白旗を掲げます。白旗(昆布を採ってよい) 八月からは6:00~12:00白旗、 それ以外の時間帯や時化たときは赤旗なります。
三艘の船が一斉に漁場へと向かいます。箱めがねを口銜えて海中をのぞきかび棒で昆布を絡ませて船へ引き上げる作業が続きます。 

船に昆布が一杯になると、浜に戻り昆布を降ろして再び漁へ戻ります。
浜では、昆布を干し場に丁寧に並べる作業が続きます。赤岩の昆布は海水が綺麗なので洗う必要がなくそのまま干し場に並べることができました。(養殖昆布などは洗ってから干す)
昆布の根昆布は石を取り除き根っ子だけを切り取り、乾燥させて漢方薬の原料として売られるとききました。
乾燥されて、綺麗に結束され梱包された昆布は、等級の検査を受けます。これで値段が決まります。昆布の種類や地区毎に設定されている規格を基に、量目や表示事項等のほか、品質については、長さ・幅・重さ・厚さ・枚数・色・形・傷・白粉など、多種多様な項目を等級毎に確認しています。北海道水産物検査協会がおこなっているそうです。

おじさんがバイトをした、赤岩の番屋も現在は昆布漁はおこなわれていないようでした。

番屋飯で一番のご馳走は、浜の目の前で行われる刺し網で取れる魚。鱒のいくら。鱒の塩焼き。鰈の煮付け。羅臼昆布で育ったエゾ馬糞雲丹採れます。おじさんが作った料理で最高の旨さだったのが雲丹のの卵焼きでした。新鮮な雲丹(十個)を卵でふわふわの出し巻きにしてみました。これは、最高においしかったけど二度食べることはできません。