ノロウイルスになった。
川内村の仕事場に着くと嘔吐と下痢(仕事場には簡易便所しかない)が止まらなくなり、発熱もあり、仕事ができる状態ではなくなった。
仕事仲間も数人が同じ症状であり、急遽病院へ向かうことになった。
同じ旅館で同じ食事を摂っているので、食中毒の可能性もあった。
旅館に帰ると、保健所の人が着ており、前日の食事の内容を詳しく聞かれた。
症状を聞かれて、原因を調べるために検便を提出した。
後日、ノロウイルスであることが判明した。
発病三日目に症状が改善されないので、朝から病院へ向かった。
朝9:00に受付を済ませて、診察が始まったのが昼の12:30で、点滴が始まったのが13:30で終了したのが15:30でした。
その後、薬局へいき薬をもらって帰ったのは16:00でした。
診察を受けるまで3時間30分も待たされたのは、体調の悪い病人としては、大変つらい思いをしました。
ここ、いわき市では、双葉郡(大熊町、双葉町、富岡町、楢葉町、広野町)から、多くの住民が避難生活をしているために病院の患者が多くなっているために、持病を持つ老人が診療を受けるために朝早くから病院に並び、数時間待って受診してもらっています。日常的に病院は患者であふれているようです。
日ごろ、いわき市では日常生活で何の不便もなく生活していますので、わからないところで、不便を強いられている弱者が大勢いることに気づかされた一日ですた。
昨日からやっと体調が戻り正常の生活にもどりました。
いわき市美術館 ヴェナンツォ・クロチェッティ展へ行ってきたよ。
イタリア具象彫刻の新たな伝統を築いた重要な作家であるヴェナンツォ・クロチェッティは、日本の具象彫刻界にも大きな影響を与え、これまで国内各地で展覧会が開催され、さらに美術館や公園などに数多くの彫刻作品が収蔵・設置されております。また2013年に生誕100年という記念すべき年を迎え、その記念すべき年にはローマのヴェネツィア宮殿を始めイタリア各地の美術館において大回顧展が開催されることになっています。
イタリア各地を巡回する大回顧展に先駆け、その前年にクロチェッティと縁の深い日本において実現した本展覧会は、2004年に開館したローマのクロチェッティ美術館並びにクロチェッティ財団の全面的な協力のもとにクロチェッティの彫刻26点のほか、素描19点、版画6点を通してあらためてクロチェッティ芸術の真髄をご紹介いたします。
また本展覧会は、クロチェッティ生誕100年を記念する展覧会の一環として開催されるとともに、東日本大震災により被災を蒙った被災地への文化支援という性格を有しており、その意味で被災地であるいわき市にとっても意義のある展覧会であるといえるでしょう。ヴェナンツォ・クロチェッティ展の紹介記事より
ヴェナンツォ・クロチェッティの「岸辺の娘1934年」 を見て滋賀に居たときによく通った佐川美術館で見た
佐藤忠良の「帽子・夏」を思い出しました。。震災にあった宮城県出身の日本を代表する彫刻家の作品と対比してみたくなりました。今年の夏に宮城県立美術館で佐藤忠良の作品も見ることができました。
クロチェッティは女性像を中心に肖像や動物像を手掛け、健やかな女性美や湧き上がる動勢、希望や平和といった崇高な精神を表しました。いのちに対して慈愛に満ちたまなざしをそそぐ一方、絶望や苦しみといった精神の暗部をさらけ出し、“人間”への厳しい問いかけも行っています。また、地中海文化や古代ローマ文化、ルネッサンス等、営々と続く自国の歴史的な源流のなかで、その魅力の再発見と新しい解釈をもとに表現してきました
身近な人物たちをモデルにした、生命力みなぎる作風で知られる具象彫刻家・佐藤忠良先生の作品は、躍動感あふれる肉付けと、堅実なフォルムに特徴があります。
作品の主なモチーフには「頭像」「女性像」「子どもの像」などがあります。
帽子シリーズ
佐藤先生がその評価をゆるぎないものにしたのは、シベリア抑留から帰還した直後、1952年に発表した「群馬の人」でした。日本人固有の相貌を表現し人物の生き様・内面の美しさを追求したこの作品は、明治期に西洋からやって来た近代美術の手法を、初めて日本人が日本人の心でもって解釈し創りあげたものとして、多くの批評家の賛辞を集めました。
そして1970年代には「帽子」シリーズに代表される、現代感覚あふれる新境地を開拓。
彫刻家として技術的に難しい帽子の広い鍔を世界的な彫刻家が挑戦しているのが面白いですね。
震災復興のために文化支援として今まではやってこなかった美術展が東北を巡回しているのは、うれしいかぎりです。