東京で映画を見る 10月3日~10月8日
「ソハの地下水道」
「ウェイバック 脱出6500km」
「そして友よ、静かに死ね」
「真夜中の虹」
「マッチ工場の少女」
「真夜中の虹」
「トゥー・ラビッツ」
「センチメンタルなピエロの旅」
「サッカーに裏切られた天才、エレーノ」
「ソハの地下水道」
監督: アニエスカ・ホランド. 出演: ロベルト・ビェンツキェビチ, ベンノ・フユルマン.
1943年、ポーランド。下水修理と空き巣稼業で妻子を養っているソハは、収容所行きを逃れようと地下水道に繋がる穴を掘っているユダヤ人たちを発見した。ドイツ軍に売り渡せば報奨金を得られるが、狡猾なソハはユダヤ人たちを地下に匿ってやり、その見返りに金をせしめようと思いつく。ソハは迷路のような地下水道の構造を最も知り尽くした男なのだ。
ところが子供を含むユダヤ人グループは面倒見きれないほど人数が多く、隠れ場所の移動や食料の調達さえ容易ではない。おまけに執拗なユダヤ人狩りを行う将校が目を光らせ、ソハの妻子や若い相棒は処刑の恐怖におののいていく。
自らも極度の精神的な重圧に押しつぶされそうになり手を引くことを決心するが、時すでに遅かった。同じ生身の人間であるユダヤ人たちに寄り添い、その悲惨な窮状を目の当たりにしてきたソハは、彼らを"守る"という自分自身も信じがたい茨の道を選ぶのだった......。
ナチス占領下、14ヶ月の地下水道潜伏記
1943年、ナチス占領下のポーランド、ルヴフで、収容所送りを逃れ、地下水道に隠れたユダヤ人と彼らを助けたポーランド人がいた。14ヶ月の末、潜伏の結末は? 証言を元にした実話で映画化原作。
「地下水道」というとワイダ作品の傑作がある。これは、ワルシャワ蜂起中逃げ惑う庶民絶望的な姿が描かれている。
「ソハの地下水道」でもワイダ作品のラストの場面と同じ構図が描かれていたところがあるのは、ワイダを尊敬しているからでしょうか?
この物語は、東部の町ルヴフ,ウクライナ人の多く住む街である。
1939年9月、ドイツ軍とソ連赤軍によるポーランド侵攻後、ポーランドのルヴフはドイツ軍によって占領された。独ソ不可侵条約の秘密協定に基づき、ドイツはソ連にルヴフを引き渡した。以降、しばらくルヴフはソ連によって支配されていたが、1941年6月にドイツ軍がソ連軍のポーランド占領地域へ進攻を開始(独ソ戦)すると、ルヴフもドイツ軍によって占領された。ルヴフは1939年9月以来、ドイツ軍のポーランド占領地域に設置されていたポーランド総督府の領域に組み込まれることとなった。
当時、ルヴフには11万人のユダヤ人が暮らしていた。1941年11月に、ルヴフ・ゲットー建設の命令が下った。命令では12月までに建設せよとのことだったが、完成したのは1942年8月だった。
ルヴフ・ゲットーはラインハルト作戦で絶滅収容所へ移送された最初のゲットーだった。1942年3月からゲットー住民の移送が開始された。1942年8月には激しい移送が行われ、65,000人のユダヤ人がベウジェツ絶滅収容所へと移送された。数千人だけがレンベルク=ヤノフスカ強制労働収容所(de:Zwangsarbeitslager Lemberg-Janowska)へ移送され、強制労働に従事した。なおルヴフ・ゲットーのユダヤ人評議会議長ヨーゼフ・パルナスはゲットー住民の移送に反対し、ドイツ当局によって銃殺されている。
リヴィウに建つホロコースト記念碑
1944年7月にソ連赤軍が再びルヴフを占領したが、ルヴフ・ゲットーにはもはや数百人しか残っていなかった。(ウィキペディアより)
ウクライナ人にとっては、ドイツ軍は解放者でもあった。
第二次世界大戦中は、一部のウクライナ人民族主義者がドイツにウクライナの独立をたくしたので、西ウクライナがドイツ占領下に入ると占領当局に協力することになる。ポーランド人とウクライナ人を反目させる政策がとられていた。
ワルシャワでは、毎年ユダヤ映画祭が行われ、戦時下のユダヤに関係のある映画世界中から集められて上映されています。
原作もあるので読んでみたいと思いました。
ポーランド人のカトリック的な宗教的な優しさが根底にあるような気がしました。