ブイヤベースと『キリマンジャロの雪』とワールドカップの旅 パート2です。パート1のつづきです。
おじさんのマルセイユの思い出。1998年のワールドカップ。
1998年7月3日パリ16:30
フランス 0 - 0イタリア
(延長)
スタッド・ド・フランス(サン=ドニ)
観客数: 77,000人
主審: ヒュー・ダラス
PK戦
フランス4 - 3 イタリア
1998年7月3日のパリ。サンドニ ワールドカップ フランス大会準々決勝 フランス対イタリアは、両者守りのゲームに徹して、チャンスは少なく延長でも決着がつかず、PK戦にもつれ込んだ、
両チームに得点機会があったにもかかわらず延長戦を終えて0-0の同点であり、試合はPK戦に持ち込まれた。先攻のフランスは5人中ビセンテ・リザラズを除く4人が成功したが、後攻のイタリアはデメトリオ・アルベルティーニとルイジ・ディ・ビアジョが外し、フランスが0-0(PK戦4-3)で準決勝進出を決めた。イタリアの5番手キッカーのディ・ビアジョのシュートが外れると、何人かのフランスの選手は悔しがるクラブでのチームメイトを慰めた。
フランス(先攻)成否スコア成否 イタリア(後攻)
ジネディーヌ・ジダン○1-1○ロベルト・バッジョ
ビセンテ・リザラズ×1-1×デメトリオ・アルベルティーニ
ダヴィド・トレゼゲ○2-2○アレッサンドロ・コスタクルタ
ティエリ・アンリ○3-3○クリスティアン・ヴィエリ
ローラン・ブラン○4-3×ルイジ・ディ・ビアジョ
この試合をサンドニ競技場でみていた。おじさんは、次の日に行われるアルゼンチン対オランダの試合を見るために、マルセイユ行きの臨時夜行列車の出発時間を気にしながらサンドニを後にした。
マルセイユ行きの臨時列車は、準々決勝のオランダ対アルゼンチン戦のチケットを持っている人に優先的に列車のチケットを売ってくれた。ほかの夜行寝台列車やTVG(フランス版新幹線)満席のため列車のチケットは売り切れであった。たぶんリヨン駅からの臨時列車でマルセイユに向かった。
臨時列車は、ブラジル人とアルゼンチン人のワールドカップを見るために4年間お金をためてきた若者たちと一緒の席で過去のワールドカップの試合について語り合いながら楽しい時間をすごしました。
早朝にマルセイユに着いたのでマルセイユのワールドカップインフォメーションで数百人が並ぶ列に並び順番待ちをしてインフォメーションでホテルを予約しようとしたが、今日はマルセイユ市内のホテルはフル(満員)言われて断られた。40キロ離れたキャンプ場なら空きがあるらしいことでしたが車でしかいけない所。のことで今日は野宿か教会に泊めてもらおうとあきらめて港へ向かいました。
港の近くのペンションがありましたので、今日の空き部屋はないかと聞いてみました?
部屋はない。泊めてくれる教会もないとのことでした。マルセイユの夜の町で野宿はどう考えてもリスクが高いと思ったので、ホテルのオーナーのおやじともう一度交渉に向かいました。どこでもいいから泊めてくれ。おやじは部屋の空きがないとの返事をするばかりです。じゃ。キッチンでもいいから。寝袋を持っているからどこでも寝かせれくれと頼み込みました。トランクルームでもいいから。と粘って頼み込むと。わかったトランクルームでトイレとシャワーは共同でいいなら。50ユーロで泊めてやるといって。交渉成立でした。
やっと寝床が確保できたので、マルセイユ名物のブイヤベースの美味しい店はどこかとホテルのオーナーに聞くと港の海岸通にある食堂を紹介されました。同じホテルのオランダ人の客と一緒に昼食にブイヤベースを食べにいきました。
このブイヤベースが旨かった。ただのスープだけのシンプルなブイヤベースに硬いフランスパンが出てきたので徹夜で夜行列車に乗ってお腹が空いていたのでやわらかいパンも特別に持ってきてもらいました。一緒にお昼をたべたオランダ人もこれは旨いといっていました。

試合が始まるまで。16:00まで試合開始時刻まで海岸のカフェやレストランでは、オランダ人がビールを飲み続けました。数少ないアルゼンチン人のビールを飲みながら対抗していました。
1998年7月4日
16:30
オランダ 2 - 1 アルゼンチン
スタッド・ヴェロドローム(マルセイユ)
観客数: 55,000人
主審: アルトゥーロ・ブリシオ・カルテル
クライファート 12分 C.ロペス 17分
ワールドカップフランス大会のこうゲームのひとつでした。試合終了間際のベルカンプの最高のゴールで幕を閉じました。
ホテルのおやじさんの優しさにがマルセイユの思い出です。

