「作家の旅」おじさんの好きな旅人 キャパ エルデシュ 田中小実昌
小泉八雲、萩原朔太郎、林芙美子、村松梢風、寺山修司、
山口瞳、田中小実昌、吉田健一、種田山頭火、宮脇檀、
竹中労、春日井建、堀内誠一、澁澤龍彦、須賀敦子。
写真や直筆のノートなども満載です。
日本人になったギリシア人、魔都・上海、移動写真館、草競馬、バスでひまつぶし、金沢グルメ、放浪、沖縄島唄、イラスト地図、フローラ逍遥、イタリア歩き…作家15人の旅路。
旅の仕方は人それぞれ個性がでて生き方そのものでもありますね。
田中小実昌
メイド・イン・ふらふらバスの旅
はじめての町に行って、通りが一方通行のためかどうか、バスのいきかえりがちがって、もとのところにかえらなくてマゴつくことがある。
しかし、セントロという言葉をおぼえ、それがふつうに口からでだしてから、らくになった。
れいによってバスが終点につき、バスをおりて、そこから出発しそうなバスがあると、「セントロ?」と運転手にきく。シイ、とうなずくとそのバスにのる。
ところが失敗することもある。ひきかえすそのバスのまた終点までのってると、運転手がぼくのことをおぼえていて、(だって、あっちの終点でバスにのったのはぼくひとりだもの)「どうしてセントロでおりなかっただ?」というふうにあやしげな顔をする。なんどもそういうことがあった。「サンチャゴふらふら」(1989)本文
旅行記というものは、たいていカッコいいものだ。美しい風景、珍しい食べ物、ちょっと危険な裏通り、病気とトラブル、そして人との出会い・・・・。読者は、その多彩な体験に憧れ、自分自身を重ね合わせて夢をみる。
ところが、田中小実昌の旅は、そんなカッコよさとは対極にある。この本を読んで、彼の真似をしたい、という人はいるだろうか。のっけからもう・・・・。日本から飛行機を乗り継いでいく途中で、べろべろに酔ってしまい、やっとチリのサンティアゴに着いたら、出迎えの人の前でいきなりゲロを吐いたりして。
サンティアゴでは、毎晩毎晩同じ飲み屋で飲んでいる。そして昼間は、道端からでたらめにバスに乗っては、終点まで行って帰ってくる。飽きもせず、二ヵ月以上ほとんどその繰り返しだ。
バスの終点は、いつも何も見るもののない、荒涼とした場所だ。砂埃と、掘立て小屋と、野良犬と、灌木が数本。コミさん(失礼、こう呼びたくなる)は、ぽつんとひとり、その風景の中に立ち、黙って名も知らぬ遠くの山を眺めている。
いったいこれは何なんだ、と思っていたら、終わり近くにこんな一節があった。「ぼくはなにかを見てやろう、なにかをつかみたいとおもって、外国の町にいるのではない。・・・なにかを身につけるのではなく、できれば身に積みかさなっているものが、バスのなかでぼんやりしているうちに、流れでてくれるとありがたい」本文より。
そうだったのだ。コミさんの旅は、あれもこれもと世界の意味を知るためではなく、逆に、無垢で寄る辺ない子供のような精神を取り戻すための、哲学的な旅だったのだ。当時書評。
田中小実昌のある本の「あとがき」
――この本がでるころには、たぶんアメリカの西海岸の町サンディエゴにいる。毎年、冬になるとあったかいところ、夏は涼しいところでふらふらしている。取材ではない。昼間はバスにのり、映画を見て、夜は酒をのんでいる。
おじさんもこんな旅人になりたいです。
おじさん流の旅の仕方
初めて訪れた町に着いたら町で一番大きな通りを端から端までのんびり歩いてみる。
トラムやバスで終点まで行って戻ってくる。
ブタペスト ではアカデミー通りからドロッチャ通り抜けヴァーツィ通りを北から南まで歩いた。


ドナウの右岸ペストに立つアカデミーを訪ねた。ハンガリーが生んだ天才数学者ポール・エルデシュ(1913生まれ)のお墓の場所を教えてもらう為に行った。アカデミー通りを下るとヴァーツィ通り(ブタペストで一番賑やかな通りで高級店からみやげ物のお店までが軒を並べています)ハンガリー生まれの世界一有名な報道カメラマンのキャパ(1913生まれ)が生まれたのはヴァーツィ通り南の端です。
ポール・エルデシュは旅する数学者と言われ世界中を旅しながら数学者と交流しての論文を書き続けた男。カメラマンのキャパは報道カメラマンとして世界を飛び回る旅をした男。同じ年生まれのユダヤ系ハンガリー人ですね。
おじさんが尊敬する三人の旅人は放浪の天才数学者ポール・エルデシュと世界一有名な報道カメラマンのキャパそしてぶらぶら旅の田中小実昌です。
