アジアのお坊さん 番外編 -21ページ目

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

平成の米不足の時と違って、現在ではタイのお米も日本米と変わらぬ価格になっているようだが、あの頃、タイ米が日本人に不人気だったことを思い出すと、隔世の感がする。

 

その後、タイで修行させて頂いた私にとってタイの料理はいたく口に合い、今でもタイ米を炊く匂いを嗅ぐと、たまらなく懐かしい。

 

そのまた後にインドのお寺に赴任させて頂いた時にご縁のあったお坊さまが、庵暮らしを始めた私に毎年この時期になるとお供養米を送って下さるのだが、本当に有難い限りだ。

 

よく読ませて頂いている方たちのブログなどを通じて、世間の皆さまの米不足に関するご苦労をお聞きしていることなどもあって、米が少ない年だから助かるという意味で言っているのではなく、どんな時節であっても変わらぬお気持ちで供養して下さる、そのお心こそが実に嬉しく有難い。

 

さて、そのお坊さまからのお知らせで、やはりインドの日本寺の発展に大きく貢献されたD氏が勇退されたということも聞いたのだが、そのD氏は私が庵暮らしを始めた頃に、「米味噌あれば何とかなりますからね」と仰ったので、ああ、そんな言葉の使い方があるのだなと初めて知った。

 

皆さまのお供養のお気持ちを通して、改めて初心に返った次第です。

 

 

                合掌

 

「ホームページ アジアの精進料理」もご覧ください。

死に装束の内、額に付ける三角の布を「角帽子(すんぼうし・すみぼうし)と言うのだが、これをインターネットで検索すると、「天冠」としているサイトが多い。

 

ただ、検索のトップに大量に出て来るのはほぼすべて葬儀屋さんや家族葬などのサイトであり、「天冠」に関する文章も、ほとんどすべてコピーかと思しき全く同じ文章なので、誰かの説が蔓延してまかり通っているのだろうかと思う。

 

ところで、桂米朝師の「地獄八景亡者戯」の冒頭には亡者の額の三角の布(きれ)として「角帽子(すんぼうし)」という言葉が出て来るし、「天台常用法儀集」の葬儀の箇所には「角帽子」とあって振り仮名はなく、「元これ国風。想え、菩薩の宝冠なりと」と説明がある。

 

「佛教語大辞典」には「角帽子(すみぼうし)」という項目があって、「天冠」という項目がない。「大辞林」には「角帽子(すみぼうし)」「角頭巾(すみずきん)」という2つの項目があって、やはり「天冠」という項目自体がない。

 

推して知るべしではなかろうかと思うのだが、皆さまのご意見並びに皆さまの地域での死に装束状況は如何?

 

                おしまい。

 

※遺体の額に三角の布を取り付けること自体の由来としては諸説あるが、死に装束は遍路・巡礼・道者を象っているから、僧体の装束であった角帽子や角頭巾を模したのが本来の意味であり、後になって菩薩の宝冠であるとか貴人の天冠であるという解釈が施されたのかも知れない。

 

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大型書店に行く時間がなかなかなくて、2階で食料品以外の衣料や雑貨も売っているようなスーパーマーケットに立ち寄ってもらったついでに、そこの本屋の品揃えを覗いてみるということが、最近に何度かあった。

 

主に創元推理文庫とハヤカワ文庫の棚をチェックするのだが、どこの店でもハヤカワのクリスティー文庫などは超有名作品だけを置いてあるのが普通で、少しだけでも他のクリスティー作品を置いている店舗の場合は、余り売れないのか背表紙が焼けていたりして、とても淋しい限りだ。

 

にも関わらず、最近に立ち寄ったどの本屋にも置いてあったのが、創元推理文庫の「HHhH」で、ナチをテーマに斬新なメタフィクション的手法を駆使した傑作にして話題作らしく、以前から大型書店でも見かけて気にはなっていたのだが、ミステリではないと知りながら、頂いた図書券が残っていたこともあって、もしかしたら飛び切りトリッキーな作品かも知れないと思い、ついつい購入してしまった。

 

結果を言うと、確かに面白くは読めたものの、私にとっては、なるほど、玄人の評論家たちならさぞ絶讃するだろうなと思える程度の内容でしかなかったのだが、しかし、こんな特殊な本があちこちのスーパーの2階で売られているということ自体は、日本の読書状況にとって微かな希望であるのかも知れない。

 

願わくば、背表紙が焼ける前に、本好きな買い物客の誰かが、この本を手に取りますように。

 

 

 

 

 

                 おしまい。

 

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お坊さんになろうとあがいていた十代の頃、自分一人で宗教法人を設立するというアイデアを思い付いたのだが、調べてみたらいかんせん、「法人」というだけあって、複数の人間がいないと設立はできないことが分かって断念した。

 

ただ、その時に宗教法人について調べたおかげで、お坊さんになってから、宗教法人法悪用のニュースを見たり、実際にお寺で宗教法人について聞いたりした時に、詳しく理解できるようになったのは幸いだ。

 

その後は紆余曲折を経て、「宗教法人」とも「非法人」とも「お寺」とも関係なく、身体ひとつの修行僧として浮き草稼業で生涯を全うすることが出来たらどんなに楽かということを考えながら、ここ数年ずっと暮らしている。

 

 

「誰もみな 生るも知らず 住み家なし 帰らば元の 土になるべし

   (一休和尚:「一休骸骨」より) 

 

 

                おしまい。

 

 

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※何度か「非法人」について以前に書いたことを、下に箇条書きで纏めてみます。

 

 

 

・天台宗では宗教法人格を持たない非法人寺院というものの設立が認められていて、単に実務上の理由からだったり、もしくはある程度自由な活動をするために敢えて宗教法人格を取らないお寺もあったり、お寺を建てる前段階としてまず非法人のお寺を設立し、その後に法人格を取得する場合もあったりする。

 

・天台宗務庁が出している「天台宗 Q&A」という古い冊子の中に、以下のような項目がある。

 

「法人設立:法人寺院設立は、宗教法人法に規定する宗団としての要件を具備するか否かの審査が難しいので、まず非法人寺院設立の承認手続(宗務庁承認)を行なって下さい。宗教活動の実績を挙げ、約3年ほど経過した後、法人寺院設立認証(都道府県知事承認)の手続を行うのが望ましい。」

 

・「天台宗報」を見ていると、意外とたくさんの非法人寺院が設立されたり解散したりを繰り返していて、例えば女性落語家で天台宗の広報活動にも貢献している尼僧さんや、NHKの番組でも特集された、ストーカー問題で悩んだ末に得度した別の尼僧さんなども、最近に非法人寺院を設立しておられる。

 

・また例えば、発心して得度した若いお坊さんが、本山で長く修行をした後にご自分の思いを成就すべく、非法人寺院を設立されたりもする。

 

・その他、天台宗の中の修験道法流という流派の中にも非法人寺院が多く、設立や解散などの記載が天台宗報にしばしば載っているので、こういった流派の方たちの中には、独自の修行をされる方が多いのかも知れないと想像する。

 

・さらにもう一点、天台宗の寺籍簿には総本山(比叡山)を筆頭に各地域の教区ごとに法人・非法人の順でお寺の名前が載っているのだが、非法人に関しては本山の非法人寺院の数が最も多く、これはある一定の条件を満たした方に「坊号」のような形で授与される資格を本山の非法人の寺名に限っては、表している場合が多いからであり、その中には弁慶ゆかりの「武蔵坊」といった寺名も残っていたりする。

 

・引きよせて むすべば草の庵にて とくればもとの 野ばらなりけり (慈鎮和尚:「一休和尚法語」より)

 

                         おしまい。

 

 

 

 

 

先日、他ブログの方の記事に触発されて、ミステリ作品を流し読みすることについて触れたのだが、今回、笠井潔の小説デビュー作にして名探偵矢吹駆の初登場作「バイバイ、エンジェル」を、久々に斜め読みではなく一字一句を追いながら読了した。

 

そして、笠井氏の「バイバイ、エンジェル」以降の小説やミステリ評論に関する活躍はともかくとして、「バイバイ、エンジェル」はやはり氏の著作の中でも特別なものだということを改めて痛感した。

 

矢吹シリーズの特色である哲学的思索部分の良し悪し出来不出来はさて置き、「バイバイ、エンジェル」においては、本当に真摯に解き明かしたかった問題に当時の著者が真正面から答えようとしており、例えそれが少々青臭くても、著者にとっては重要な記述だったのだということが、この年になって読み返してみたらよく分かった。

 

そしてそれよりも尚、著者が「探偵小説」というものを深く愛し、「探偵小説」そのものを思索分析しようとしていることにも好感が持てた。

 

などと偉そうに言っているけれど、私が「矢吹駆はチベットで修行しなかった」「矢吹駆の簡素な生活は修行と言えるのか」といったことをしつこく書くのは、何だかんだと言っても、私がこのシリーズが好きだからなのであって、今でこそ、「学生(矢吹駆)がサンスクリット語を口にしたくらいで大学教授がのけぞる程おどろくだろうか」などと偉そうに書かせて頂いているけれど、実を言えば、お坊さんになるよりも以前にこの本を読んで、大学で神道学を専攻してからお坊さんになろうと考えたりした一つのきっかけにすらなったくらいに、私はこの「バイバイ、エンジェル」が大好きなのだということを、改めてこのたび再認識した次第です。

 

 

              おしまい。

 

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