先月のことだけれど、ガザ地区から解放された人質のタイ人が、もしも無事に解放されたら出家するとブッダに祈っていたので、解放後、実際に出家したという報道があった。また、息子が解放された後のニュースで、もしも無事だったら出家させますとお寺参りの時にお願いしていたのだと語る父親の姿もテレビで見た(บวช ブアット=出家する、得度する、というタイ語を父親が口にしていた)。タイでは子供が出家するのは何よりの功徳で、また災難に見舞われた後は厄払い的な意味で出家得度することもよく行われると、日本のニュースでも解説されていた。
前回このブログで、なぜお寺の出身でない自分がお坊さんになりたかったのかを書かせて頂いたが、私がお坊さんになれたのは、ごくごく普通の檀家寺の住職である私の師匠が、突然飛び込んで来た私を弟子にして下さったからで、それについては本当に感謝してもし切れない。
そして比叡山で得度させて頂いた後、師匠は得度式の感想文を書くように私に言い、それをお山に提出したら、優秀な物が宗報か何かに載るからとのことだったのだが、結局、採用されたのはお寺の子弟らしき小さな子供たちの素直な文章ばかりで、「今昔物語集」における出家の功徳を述べたエピソードを引用し、老翁が残り少ない寿命であるにも関わらず得度したいと願ったことを神々さえも喜んでその功徳に預かろうとした話を、我が身の出家に引き寄せて書いた、私のひねた文章は採用されもしなかった。
その上、今昔物語の頃の日本や現代のタイのように、家族が出家することが七代後までの功徳だと思って喜ぶ身内も私にはおらず、大反対された挙げ句の得度ではあったのだけれど、上記に述べたタイのニュースを見て出家の功徳を思い、今昔物語集19-12や宇治拾遺物語の「出家功徳」の話を読み直しながら、何としてでもお坊さんになれたことを、そしてその後にタイでも得度して修行できたことを、心の底から改めて嬉しく感じた次第。
おしまい。
※「ホームページ アジアのお坊さん 本編」もご覧ください
※AsiaNewsの記事より
「From Gaza, while he was held hostage by Hamas militiamen, he said he begged Buddha every day to get him out of that hell alive. There,' he added, 'he made an oath to himself: if he managed to save himself, he would become a monk. On 15 January, Natthaporn was ordained a monk in Ban Nongsang, Nakhon Pathom province.」