橋杭岩の伝説 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

民間ロケット打ち上げのニュースに関し、何度も串本の橋杭岩の映像を目にしたので、改めてこの景勝地について書いてみたい。

 

弘法大師空海は、唐から帰って高野山を開くまでの間に各地を巡礼したが、それは大師42歳頃のことだったので、厄除け大師と銘打ったお寺が紀伊半島にはたくさん残っている。

 

空海は龍神村を抜けて熊野から伊勢を巡ったらしく、その巡礼中に龍神村の龍神温泉、串本町の海中に並ぶ奇岩である橋杭岩のたもとの弘法湯、伊勢の丹生神宮寺の弘法湯などの温泉を発見したともされている。

 

さて、橋杭岩に残された伝説は、大師が海中の大島まで一夜にして橋を掛けようとしたが途中で夜が明けたために果たせず放置したので橋杭状の岩だけが残ったというものだ。

 

弘法大師には他にも、岩を千切って投げたとか、一夜にして石の大鳥居を立てようとしたがやはり鶏が鳴いて夜が明けたとか、岸壁に立つ投入堂というお堂は大師が地上から投げつけたものであるといった、超人的な伝説がたくさんある。

 

イザナギノミコトという神さまが天上に向けて掛けた橋が倒れて天橋立になったという伝説があるけれど、上記のような大師信仰が数多く各地に存在するのは、伝説を伝えた昔の人々が、弘法大師のことを実在のお坊さんと言うよりも神話的人物として捉えていたことの証しなのかも知れない。

 

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