坊主川柳…三衣一珠 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

正月の遍路番組を録画して下さった方がいて、今年はまだどこの霊場へも参詣できていないので、またぞろ旅心、巡礼ごころがうずき出す今日この頃なのだが、さて、その番組の中で、道しるべを見て却って迷ってしまうことも遍路の醍醐味ですと仰っている方があった。

 

私も托鉢僧姿で四国を歩き遍路の道中に、

 

 道しるべ 助けられたり 騙されたり

 

などと拙い川柳を詠んだことを思い出したのだが、また他にもその頃に、

 

 宿借るも 貸すも貸さぬも 南無大師

 一張羅 否応なしに 糞掃衣

 杖と笠 捨ててぞ晴れて 無一物

 

などの句を詠みながら歩いたものだ。

 

ところで、先日のその録画を見ていて、野宿中に強風に煽られ、翌朝起きてみたら輪袈裟と数珠が吹き飛ばされて行方知らずになったことなども思い出したのだが、お坊さんの持ち物は本来、三衣一鉢、すなわち三種の布から成る法衣と托鉢用の鉢だけだった。

 

今もテーラワーダ仏教ではこれに少しの道具を足した「比丘六物」が所有物とされ、その後、大乗仏教ではさらに持ち物が増えて「比丘十八物」が定められた。ちなみに数珠はその中に含まれない。また、大乗仏教の僧侶しか数珠は持たない。

 

そして、現代社会に生きる大乗仏教僧は現代のテーラワーダ仏教僧よりも所有物が多い傾向にあるわけだが、そこで逆に、せめて法衣に数珠だけを常に身に着け、後は無一物の気持ちで過ごすことにしよう、例え本当は所有する私物がたくさんあったとしても、せめて心は「三衣一珠」でとかねがね思っていたのにも関わらず、数珠と輪袈裟が無くなった途端に慌てた、慌てた。

 

その後の遍路中に出会った修験の優婆塞さんに数珠を見せ合いっこしましょうなどと言われてうろたえたりということまで思い出し、今回自戒を込めて新たに詠んだ拙い一句、

 

 数珠一つ されど心は 百八つ

 

 

                  おしまい。

 

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