小僧修行の時に小僧の先輩方と初めて外のご法務に出かけたのだが、出発前に皆が緊張していたところ、まるで三枚のお札の昔話のように、老僧が外出時の注意事項を教えて下さったものだ。
その時言われて今も覚えていることの一つに、今回は外で食事をするのもやむを得ないが、わざわざいつも寺でしているような食事作法を人前で見せつける必要はないぞ、きちんと行儀よく食べれば良いから、という注意事項があった。
さて、以前に書かせて頂いたことなのだが、日本における「お坊さん」には、出家者・修行者・宗教者としての側面以外に「職業」としての一面もあるので、読経は下手であるよりも上手いに越したことはないが、そこに所作のなめらかさや立ち居振る舞いや言葉遣いの適切さも加味されるべきで、さらに加えて仏法に関する知識や、修行と信仰の深化による心の成長、及びそれを他者に布教し苦を取り除く能力が相俟って形成される「坊さん力」の高さこそが法施なのであり、人から布施を受けるに値する要素なのだと思う。
以上のようなことを踏まえた上で、お坊さんと在家一般人との区別がつきにくい日本社会の日常生活の中で、お坊さんたるもの、人に見せつけなくても良いから食事の時は微音であっても少しは秘かに偈文などを唱えてきちんと行儀よく食べ、トイレに入る時にはさり気なく烏枢沙摩明王のご真言を誦し、在家の知り合いと話す時でも不自然さのない程度に言葉を選んで丁寧に喋る、そんな何気ない心掛けの一つ一つが、気づき(sati)を高める修行なのではないかと思ってみたりする。
おしまい。
※「ホームページアジアのお坊さん本編」もご覧ください。