旅僧の歴史 さらなる報告 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

先日から、日本における「旅のお坊さん」の起源について考えている。

 

最も古い仏教説話集である日本霊異記の下巻33には「里を歴(めぐ)りて食を乞う」お坊さんが出て来るが、これは多分「里」すなわち居住区域内だけの托鉢であると考えられる。

 

托鉢をするお坊さんの話は他にも霊異記にたくさん出て来るのだが、霊異記の下巻16には寂林法師というお坊さんが紀伊から「国の家を離れ、他の国を経て、法を修し道を求めて」加賀の国に至ったと書いてあるから、これは明らかに居住地内の托鉢だけではなく、諸国行脚の旅をしたのだと言える。

 

ただ、吉田一彦氏の「日本古代社会の仏教」を始め、「日本霊異記」を古い時代の僧尼の様子が分かる書物として参考にしている研究書は多いのだが、霊異記の成立は西暦822年前後とされるから、大宝律令や養老令の僧尼令で僧侶の生活が規制された西暦700年初頭の「旅のお坊さん」事情が分からない。僧尼令には「山籠りして修行する場合の規定」はあるが、「自国を越えて諸国を行脚する場合の規定」が見当たらない。

 

ちなみに、行基や役行者の活躍は大宝律令施行の西暦700年前後とされるが、特に行基は空海より100年も前の僧侶でありながら、弘法大師伝説同様の旅のお坊さん伝説を有するし、また、伝説の中の弘法大師は行基の跡を慕って各地を巡ったような気配もあるから、先ずは取り敢えずの中間報告で、日本の「旅のお坊さん」の元祖の一人として、行基の名前を挙げておきたい。

 

 

              おしまい。