進化生物学的な仏教の話 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

今年のノーベル生理学・医学賞を受賞したスバンテ・ペーボ氏の著作「ネアンデルタール人は私たちと交配した」を、以前に読んだことがある。

 

さて、人間は動物から進化して、知能も発達し文明も築いたが、にも関わらず、人間社会は苦しみに満ち溢れている。果たしてこれは進化の結果なのか、そして動物世界にも「苦(dukkha)」はあるのか、あるとしたらその苦しみは人間世界より多いのか少ないのか? といったことを、私は常々考える。

 

そこで今度はジャレド・ダイアモンド博士の「第3のチンパンジー」を読み直してみた。これで三読目くらいなのだが、それにしても、生老病死といった「四苦」は自然現象でもあるから、これは動物にも共通するが、動物はそれをどのくらい「苦」として認識しているのだろう?

 

そして、生老病死以外の人間社会の苦しみは、人間が集団生活をすることによって多く生じているように思う。いろんな人間関係、対人関係によって生じる日常的な苦しみもあれば、戦争や経済格差によって社会的に生じた苦しみが、各個人に還元されている場合もあるが、いずれにしてもそれらは、人間が集団生活を営むが故に生じるものだ。

 

人間の中にも個人主義的な生活を好む人がいるし、特にインターネットの発達でそんな生活が物理的により可能になっていると思うかも知れないが、それらはすべて人間の集団生活を基盤に成り立っているから、外部の社会が崩壊したら、たちまち引き籠っていることは不可能になる。

 

大きな集団であれ、小さな部族であれ、或いは「文明的」な社会であれ、自然状態により近い社会であれ、もしも人が山や森の中で100パーセント自給自足の生活を行わない限り、絶対に他の人間社会との繫がりは立ち切れないから、きっとどこかで「苦」は生じているはずだ。

 

ダイアモンド博士によれば発声が可能になるような声帯の変化を促す、ほんの少しの遺伝子の変化が「言葉」を発達させ、人間をネアンデルタール人から分かち、大躍進させた。そしてさらに農耕の発達が人口の増加と経済格差や中央集権を生み出したとのことだ。

 

「苦」は人類の進化の結果なのか、苦を滅するための「苦集滅道」という四諦の真理をブッダが発見したこともまた、進化の必然なのか、そんなことを私は毎日考えている。

 

 

 

                 おしまい。

 

※画像はネパールで購入した生老病死=四門出遊を描いた絵葉書です。

 

 

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