温泉霊場 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

先日、天台宗の宗報を見ていたら、比叡山への登り口にも近い所にある修験道法流の非法人寺院が2、3年前に寺籍削除となっている。私の記憶ではその住所の近くによく似た名前の寺院と一緒になった簡素な温泉施設があって、インターネットで検索すると、そちらのお寺は真言宗の醍醐派に属するそうだが、両者には何か関係があるのだろうか? 不確かな話なので固有名詞を書けないのが残念ながら、そのあたりの事情に詳しい方に、いずれ詳細を聞こうと思っている。

 

私はお坊さんになる前に自分であちこちの寺社霊場を巡っていたのだが、その頃にその温泉寺院にもお参りしたことがあるし、同じ頃、亀岡・老の坂峠近くや信貴山への登り道などでも、失礼ながら拝み屋さんと紙一重のお堂や祠と温泉が一緒になっているような施設に偶然出くわしたことが何度もあり、修験や神仏習合的発想と「温泉」というものは親和性が高いのだろうかと思ったものだ。

 

そう言えば、弘法大師空海は高野山を開く前に、紀伊半島から伊勢方面を行脚したようで、龍神温泉や串本の橋杭岩、伊勢の丹生神宮寺などには、空海の開いた弘法湯がある。

 

日本の温泉には弘法大師以外にも行脚僧が発見したという由来を持つ所が多いし、温泉寺や温泉神社も各地の温泉場にあり、熊野本宮の湯の峯温泉や、大峯山の洞川温泉など、霊場とゆかりの深い温泉も多い。

 

出羽三山の湯殿山などは、温泉を神格化した霊場としては、最たるものだろう。古来、この霊場の様子を他言してはいけないという掟があるが、確かにこの霊場の形状は誰かれに話したくなるような特異な光景なので、それを踏まえて「語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな」という芭蕉の名句も生まれた訳だ。

 

それはさて置き、旅僧以外では動物や鳥類、あるいは大国主神や少彦名神などの神々が発見したとされる温泉も多い、ということはつまり、自然界に暮らす生き物たちや、智慧ある少数の人々以外の一般人には、温泉の効能が知られていない時代があったということなのだろう。

 

一方でアジアに目を向けてみると、タイのカンチャナブリ近郊にある、ワット・ワンカナイというお寺の温泉が日本のTVで紹介されたことがあるが、私は行ったことがない。ただ、チェンマイ郊外のサンカムペン温泉ならば、タイでテーラワーダ僧として修行中、スリランカ僧と一緒に訪ねたことがある。

 

また、やはりテーラワーダ僧としてインドネシアを巡礼中、近くの温泉が有名なバリ島のバンジャール・テガ僧院に泊めて頂いたこともある。

 

インドでは仏跡・霊鷲山のあるラージギルに温泉沐浴場があり、こちらは仏教関係者以外の個人旅行者にもよく知られている。
 

温泉ではないが、タイのメー・ソートやラオスのビエンチャンには、薬草サウナを併設したお寺がある。地元民や外国人旅行者がサウナで汗を流すすぐ隣のお堂で、メーチー(尼僧)が一人、後ろに手を組んで歩行瞑想に行じていたりするが、温泉やサウナのようなリラクセーション施設には、瞑想修行がよく似合うのかも知れない。

 

 

 

                   おしまい。

 

「ホームページ アジアのお坊さん本編 」もご覧ください。

 

※画像はバリ島のバンジャール・テガ僧院近くの温泉です。