小川剛生氏の「兼好法師 徒然草に記されなかった真実」(中公新書)は、兼好法師に関する通説を覆すスリリングな書物だ。空想や想像で出される新説ではなく、国文学の立場から文献の考証による確かな証拠を以て、確実な回答を導き出しておられるのが面白い。私が特に興味深かったのは、例えば以下のような点だ。
勅撰の和歌集における肩書は、身分が五位以上の者は出家していても俗名で記す。侍(六位以下)の者は出家していなければ「詠み人知らず」となり、出家していて特に考慮すべき事情のある者は「凡僧」と言い、「○○法師」と表記する。歌集においては俗名の方が栄誉である。方丈記の鴨長明は従五位下に除されたので法名の「蓮胤」ではなく鴨長明で、西行は六位の侍だったので「よみ人しらず」、後に名声を博してからは「円位法師」と記され、新古今集では「西行」とされた。従って「兼好法師」は通説と違い、六位の侍品である、といった具合。
また法名が世に知られることは格別な場合に限り、「凡僧」は俗名の下に「法師」を付けるのが普通。出家しても生活が変わらなかったという意味もあるけれど、ただ、遁世者は身分秩序のしがらみから離れつつも、一般社会には自由に出入りし、閑居して仏道修行に励むも、特定の寺院には属さない、とのこと。
徒然草における兼好が、庵籠もりの修行者でありつつ、一般社会と行き来しているような記述は、決して矛盾でもなければ、よく言われるような、修行に徹し切れない文人気質なのでもなく、当時にはよくあり得た、実際の生活スタイルだったことがよく分かる。
他にも徒然草中によく登場する仁和寺と兼好の関係、仁和寺の近くの双ヶ岡に兼好が居たであろう理由と事情なども詳しく説かれているが、特に私が膝を打ったのは「加持香水」についてだった。
第238段の兼好自讃のエピソード集に出て来る「加持香水」とは、宮中の大内裏真言院で行われる御修法における儀礼のことであり、後半の三日間は清涼殿に香水を運んで玉体を加持する、その儀礼が徒然草に出て来る「加持香水」なのだという。
我々天台宗のお坊さんは日々の法務の中で、密教の作法である加持香水を行うし、儀礼としてなら例えば千日回峰行者の阿闍梨さんによるお香水の儀式などもあるが、この徒然草の段を読むたびに感じていた疑問が、小川氏の説明を聞いて氷解した。また、この話の中で兼好が探しに行った「同行の僧都」が誰なのか、どの解説者も明らかにしていないのを、小川氏が解き明かしているのも鮮やかだ。
他にも、「卜部兼好」が吉田家の系図に取り入れられ、慈遍と兄弟とされ、「吉田兼好」と称されるようになったのは、江戸時代の吉田神道の当主・吉田兼倶による捏造だとか、徒然草が褒める是法法師、並びに兼好自身も、不動産収入による経済的基盤があったとか、誠に興味深い見解が百出する。
それらによって「徒然草は至高のお坊さん文学である」という私の持論がいささかも揺らぐことはなかったし、むしろそうした兼好法師の実態を想像しながら徒然草を読むと、一層その内容が興味深く思えて来る。小川氏の他の著作も読んでみようと思った次第。
おしまい。
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