「平家物語」を読んでいたら、「毘首竭摩(びしゅかつま)」という文字に出会ったので、改めてそのことを書かせて頂くことにする。
ブッダが成道後7年目に天に登って、亡くなった自身の生母マーヤー夫人に説法をした時に、コーサンビーの都に住むウデーナ国王(優填大王)が、束の間とは言えブッダが地上におられないことを悲しみ、毘首竭摩(びしゅかつま)に命じてブッダに生き写しの像を造らせた。
仏像はやがて中国の五台山に伝えられ、東大寺の僧、奝然(ちょうねん)が唐に留学の際に模刻して日本に持ち帰った。それが嵯峨の釈迦堂(清凉寺)に伝えられて、インド・中国・日本「三国伝来の釈迦如来」と称されることになった。
ブッダが天上でマーヤー夫人に説法したという伝説はパーリ仏典にもあり、その後にブッダが天から降り立ったとされる土地がインドのサンカシャという仏跡なのだが、ブッダの不在を寂しがったウデーナ王が仏像を彫らせたという伝説はパーリ仏典にはなく、大乗仏教における漢訳増一阿含経にのみ、伝わる説話なのだそうだ。
さて、この像を彫刻したと伝えられる毘首羯摩(びしゅかつま)とは、インドの工芸神ヴィシュヴァカルマンのことで、ギリシャ神話における工匠ダイダロスがクノッソスの宮殿やイカロスの翼など多くの事物を制作したと伝えられるように、インド神話におけるヴィシュヴァカルマンはヤマ王(閻魔王)の宮殿やランカ島など、いろんな神話的建造物の製作者だとされている。
リグ・ヴェーダ以来の古い神ではあるが、今も、建築・工芸・機械・職工などの神として、人々によく信仰されている。ブッダガヤの日本寺でヴィシュヴァカルマン・プージャの祝日にインド人職員たちに請われて、お寺の停電時に使う発電機の前で、般若心経を唱えて祈願供養したことなどを懐かしく思い出す。
「優填大王の紫磨金を磨き、毘首竭摩が赤栴檀を刻みしも、わづかに等身の御佛なり」 -平家物語 巻五 奈良炎上の事 より
※嵯峨釈迦堂の本堂内では中国的な表現の毘首羯摩図像を拝することができますが、上の画像はインドで入手したヴィシュヴァカルマンのシールです。
※「ホームページ アジアのお坊さん」もご覧ください。