以前に投稿した記事の内の、お坊さんが自分を呼ぶ時の一人称について色々と考え直していたところ、その旧記事にたまたまアクセスして下さった方があったので、ご縁と思ってこれを機会に推敲して再投稿することさせて頂いた。
日本のお坊さんの一人称と言えば、「拙僧」「愚僧」「小衲(しょうのう)」などが挙げられるが、書き言葉として手紙などに使うご僧侶はおられるとしても、さすがに話し言葉で使っておられる方はいないのではないかと思う。
「衲」は「衲衣」のこと。「糞掃衣」と同じく僧侶の粗末な袈裟衣を指し、翻って三衣一鉢を旨とする比丘の自称となったもので、他に「野衲」「拙衲」といった言い方もある。
日本のお坊さんで自分のことを「オレ」と仰る方がたまにおられるが、「ボク」ですらちょっと微妙であり、やっぱり現代のお坊さんの自称としては「私」がふさわしいのではないかと思う。
ちなみに野中耕一氏の訳でタイの燦々社から発行されたポー・オー・パユットー師の「自己開発…上座部佛教の心髄」という本がある(後に改版が「テーラワーダ仏教の実践」というタイトルで日本のサンガから出たものの、残念ながらサンガが今年倒産したので現在は絶版)。
その「自己開発…上座部佛教の心髄」の中に、パユットー師の自称として、「私(拙僧)」という訳語が出て来るのだが、原語はタイのお坊さんの自称である「アータマー」だろうと思う。ちなみにこれは「我」や「自我」を指すサンスクリット語の「アートマン」から来ている言葉なのだが、やっぱり訳すとなると「拙僧」なのだなあと思った次第。
おしまい。
※「ホームページ アジアのお坊さん お坊さんの呼び方」もご覧ください。
※英語のように一人称が一種類しかない言語や、女性形・男性形のある言語、或いは日本語やタイ語のように一人称が多種多様である言語など、社会や文化によって違いのある「自称」というものは、興味深いなあと思います。