位牌などによく書いてある、没年齢を表す「行年」と「享年」はどう違うのかについて、知り合いの住職から質問を受けた。インターネット上の葬祭業者さんたちやその他のサイトの回答は、どれも懇切丁寧なのだけれど甚だ複雑で、混乱を招きやすいように思う。強引を承知の上で、独断による結論を以下に書かせて頂くことにする。
まず、仏教的な言葉としては「享年」よりは「行年」が本来ふさわしい。仏教辞典には「行年」のみ載っていて、「享年」は記載がないことが多い。
そして、没年齢は数え年で書くのが望ましい。これはあくまで仏事などは本来数え年で行うものだったから、というだけの理由なので、場合によって満年齢で書いても間違いではないが、数え年と満年齢が、それぞれ享年や行年に対応している訳ではない。数え年で書くべきか、満で書くべきかという問題は、行年と書くか、享年と書くべきかという問題とは、本来、何の関係もない。
インターネットの説明などでは、数え年に馴染みがない人のために、行年や享年の説明に加えて、やたら複雑な数え年の由来を書いてあったりするものだから、余計に混乱を招きやすい。そしてその上に、享年ならば必ず数え年を使うべきだと書いてあったりするので、余計にややこしい。
「享年」は「天から享けた年」という意味だから「歳」を使うと重複になるから「歳」を使わずに数字だけを書くとも説明してあったりするが、それについてはとやかく言わない。なぜなら、そもそも私は「享年」を使わないから。
従ってここで改めて結論。私は「行年」、「数え年」、「歳」を使う。但し、他のお寺さんが享年や満年齢を使うことに対して咎め立てをする気は全くない。私も以前は「行年」「享年」どちらも使っていたし、「享年」という言葉は広く使われているから(ちなみに「天台宗報」「比叡山時報」では訃報欄に「世寿」を、「天台ジャーナル」では「享年」を使っている)。そして、お寺さんにもそれぞれのお考えがお有りかも知れないので、それは別に構わないのだが、ただ、煩瑣複雑なインターネットの説明だけはどうしても気になって仕方ないので、敢えて駄文を認めた次第です。
おしまい。
※ 「ホームページ アジアのお坊さん 本編」もご覧ください。