アジアの在家仏教徒 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

タイ語で在家(俗人・仏教のお坊さんでない一般人)の方のことを、「カラワート」と言う。石田米雄氏の「タイ仏教入門」には「カラワート(kharawat)もしくはクルハット(khruhat)、どちらも在家者もしくは家に住む者の意」といった説明がある。

 

同じ語を冨田竹二郎博士の「タイ日辞典」で見てみると(ローマ字表記のスペルはちょっと違っているが)、「คฤหัสถ์ kharuhat」の項に「在家」とあり、通常「kharaawaat」(カラワート)という表現の方をよく使うと説明してある。そして「kharaawaat」(カラワート)の項には「家+所有者の意味。在家、俗人、非修道者」と書いてある。

 

元の「คฤหัสถ์ kharuhat」の項には「家」に関するいくつかの言葉が挙げてあり、「kharaawaat」(カラワート)の他に「karuhaboodii」=「長者、裕福な家長」という言葉が見える。

 

これは在家信者を表す漢語の一つ「居士」の原語であるサンスクリットの「grha pati」と同じ語だ。戒名の位としても知られる「居士」には、いろんなニュアンスがあるが、本来は「家にいる人」という意味だから、「出家」の反対語である「在家」とは、そう遠くない言葉である訳だ。

 

因みに「grha pati」の「grha」は「家」という意味で、インドの仏跡地ラージギルの元の名称「ラージャグリハ Raja grha」を「王舎城」と訳すのも、「王の家」という意味だからだし、この「grha」と現代ヒンディー語で「家」を表す「ガル」という言葉は語源が同じだ(例えば郵便局を表す「ダークガル」というヒンディー語は「郵便 ダーク」+「ガル」という意味)。

 

ブッダの在世時代から存在する在家信者の呼び名は、男子がウパーサカ、女子がウパーシカで、それぞれ漢語の音訳は優婆塞(うばそく)と優婆夷(うばい)、意訳は信士(しんじ)と信女(しんにょ)であり、信士・信女は「居士」と同様、戒名にも使われている。

 
ところで、役の行者のことを「役の優婆塞」とも言うが、仏教修行者ではあるけれど、僧侶ではないということを、この優婆塞という言葉は表している。そこから派生して、本来は在家仏教徒すべてを指していた優婆塞という言葉が特別な修行者のことのみを表すようになり、僧侶の方が在家の修験者を指して、「優婆塞さん」などと呼んだりすることもある(但し、この言い方には、ちょっと上からな目線が感じられなくもないけれど)。
 
さて、居士仏教という言葉があるが、居士という言葉自体はインド以来のものだけれど、在家の仏教徒でありつつ、一般の信者より優れた見識の持ち主で、なおかつ修験者でもない人を尊称して、日本や中国などでは居士と呼ぶ。
 
インドで成立した大乗仏教の優位性を説く大乗経典の「維摩経」の中で在家仏教徒である維摩居士が、僧侶である仏弟子たちを言い負かす話は有名だ。
 
マハボディソサエティの創始者であるダルマパーラ師のことや、禅を世界に広めた仏教学者の鈴木大拙のことを「居士」と表現する方もいるが、一方で、この居士という言葉がどこか鼻に付く部分があるからこそ、「一言居士」などという言葉が出来たのだろうと思う。
 
それはさて置き、英語にも「layman」という言葉があって、仏教英語では在家のことを「layman」「lay Buddhist」などと呼ぶから、「聖職者でない人」を表す概念は、仏教以外の宗教社会にも存在するということが分かる。
 

 

                                おしまい。

 

※画像はタイのワット・サケット寺院で売られていた在家仏教徒人形です。

 

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※徒然草の106段に、高野の証空上人が、女性の乗った馬とすれ違いざまに馬から落とされて、「比丘よりは比丘尼はおとり、比丘尼より優婆塞はおとり、優婆塞より優婆夷はおとれり(比丘すなわちお坊さんは尼僧より偉く、尼僧は在家の男より偉く、在家の男は在家の女より偉い)」と怒鳴った後、言い過ぎたと気付いてそそくさと立ち去る話があって、めったと聞けぬ、世にも尊い罵詈雑言だ(尊かりけるいさかひなるべし)と、兼好法師が揶揄しています。