※各段落の頭文字を繋ぐと「あ・り・す・が・り」となるように工夫してみました。
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敢えて失礼を承知で言わせて頂くと、私は創元ライブラリのミステリ評論「殺す・集める・読む」を何年か前に読むまで、高山宏という著者名を全く知らなかったのだが、最近とても気になって、この方の処女作である「アリス狩り」(青土社・2008年新版。初版は1981年で、著者が30代初め頃の著作)なども読んでみた。
理由があるのだけれども、それは後で書かせて頂くとして、とにかく「アリス狩り」「殺す・集める・読む」の順で読んでみると、「不思議の国のアリス」からシャーロック・ホームズ、ホームズ論からミステリにおける童謡殺人のこと、そしてクリスティ、チェスタントン、乱歩、小栗虫太郎の「黒死館殺人事件」へと論が進み、「虚無への供物」を視野に納めるところで筆を置く展開が、誠に興味深い。
推理小説論としては実に型破りだと著者が自讃するほどの突出した内容だろうかと、「殺す・集める・読む」を初めて読んだ時に思ったのは、同じ創元ライブラリに「物語の迷宮」(山路龍天他著)や「夜明けの睡魔」(瀬戸川猛資著)といった面白いミステリ論がたくさんあるために、特別、高山氏の著作に限って強烈な才能を感じなかったということもある。
学魔、鬼才、奇才、奇人変人、けれん、白皙、少壮、鬼神、異端、戦慄、外道などと、自称他称を含めて自らを評するその自画自賛に違和感を感じたのも事実だ。尤も、この点に関して嫌悪感を露わにする人がインターネット上のレビューなどにもいくらか見られる反面、そういった点に圧倒され、敬意や崇拝の念を抱く読者の方が多いようだが、取り敢えずちょっと訳があって、それらを踏まえた上で、私は今、この方の著作を改めて楽しく読み直している。
理由は一つだ。自分の若い頃をわざわざ「白皙」などと語り(「白皙の」と来れば、通常その後に続くのは「美少年」ではないのかな?)、奇人変人、異端、奇才と、人に言ってもらうのではなく、わざわざ自分で自慢げに言うなんて、どんなお顔をしておられる学者さんなのだろうかと、インターネットで現在のお姿(氏は1947年生まれ)を検索させて頂いたら、忽ちの内に疑問が氷解。私の変人標本帳にめでたく採集させて頂き、楽しくご著書を読ませて頂くことに至った次第。
おしまい。
※各段落の頭文字を繋ぐと「あ・り・す・が・り」となるように工夫してみました。
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