2010年頃までの仏教書あれこれ | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

2000年から2010年ごろまでに日本で発行された仏教書の内で、スマナサーラ長老の「般若心経は間違い?」(宝島社新書・2007年発行)はなかなかに面白い。日本では非常に重要視されている般若心経というお経を、テーラワーダ仏教の立場から論理的に批判するこの本の中で、般若心経の最後に出て来る「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」という陀羅尼について、般若心経の内容自体もおかしい上に、この期に及んで最後に「羯諦羯諦…」みたいな呪文で終わるなんてといった感想を、スマナサーラ師は述べている。

 

一方で、「ダライラマ 般若心経入門」(春秋社・2004年発行)において、著者であるダライ・ラマ14世は、ブッダの教えと自身の瞑想体験を基に般若心経を解説し、心経の最後の陀羅尼について、「是大神呪…」から「菩提薩婆訶」の一語ずつに、心を成長させる修行上の段階に応じた意味があるということを説いておられる。

 

さて、ベトナム人僧侶ティック・ナット・ハン師は、「禅への鍵」(春秋社・2001年発行・2011年に新装版)の中で、大乗仏教寺院のあちこちに漢文の偈文が貼ってあったり、或いは貼ってはいなくても、何かの行動をする際、例えば法要前に半鐘を鳴らす時だとかに、暗記している偈文を唱えたりするのは何故かと言えば、その時々に、しっかりと気づき(sati)を保つためなのだと書いておられる。
 
ただ闇雲に偈文を口にしていても、それは単なる儀式に過ぎないが、しっかりと気づきを保って偈文を唱えるならば、心はそこでリセットされるということをこの本によって教えられて以降、日本仏教における作法や所作も、テーラワーダ仏教同様に、全ては気づきを得るための修行なのだと理解できるようになったという意味で、私にとってこの本はとても大事な1冊だ。

 

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