後期クリスティー的問題…「ハロウィーン・パーティ」を読んで | アジアのお坊さん 番外編

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※各段落の頭文字を繋ぐと、「ハ・ロ・ウ・イン・パー・ティ」となるように工夫しました。

 

 

初めて読んだアガサ・クリスティーのミステリは「ゼロ時間へ」だったのだが、この作品にエルキュール・ポアロは登場せず、ポアロと旧知の仲である探偵役のバトル警視が、ポアロのことを懐かしみながら捜査を進める。1943年発表のこの作品で既に、ポアロは他の登場人物から随分年寄りであるかのように、評価されている。

 

「老境に入ったポアロ」というのはなかなか興味深いテーマで、これをエラリー・クイーン作品の「後期クイーン的問題」に比して、「後期クリスティー的問題」とでも呼びたいところだが、さて、クリスティーが生んだもう一人の名探偵ミス・マープルに比べると、作者がポアロのことを余り愛してはいなかったと言う噂(版権所有者の孫マシューまでが、祖母のアガサから直接そう聞いたと証言している)は、本当なのだろうかと私は疑っている。

 

ウドリー・コモンという小さな町で起こった殺人事件にポアロが挑むこの「ハロウィーン・パーティ」という作品は、ポアロ及びクリスティーの最晩年の作品だ。ちなみに、既に1942、3年頃に、自身の死後出版させるつもりで、ポアロ最後の事件である「カーテン」を執筆していたクリスティーが、その直後に発表した「ゼロ時間へ」ではポアロを登場させず、またポアロに対して懐古的になっていたのもむべなるかなだと思う。結局のところ、その後もどんどんポアロ作品は書かれ、ポアロは年を取り続け、クリスティーはさらに魅力に満ちたミステリを量産した訳なのだが。

 

(引用の多さというのもクリスティー作品の魅力だが、「ハロウィーン・パーティ」でも聖書やギリシャ神話やシェークスピアの引用が、ヴァン・ダイン・作品のような鼻に付くぺダントリーとならず、人物や物語にまろやかな立体感を与えている。)

 

パーカー・パインというポアロ以外の名探偵の脇役として登場したオリヴァ夫人は、その後、ポアロと共に活躍することが多くなったが、「カーテン」「ゼロ時間へ」執筆以降に書かれた、「ハロウィーン・パーティ」を含む、オリヴァ夫人共演作品の中のポアロは、クリスティーの分身と言われるミステリ作家のオリヴァ夫人との掛け合いの中で、一層老いによる円熟味を増しており、作者が初期の頃と違って、段々とポアロに愛情を感じ始めたのではないかと思わせる。

 

『「ティーンエイジャーのパーティーって、どんなものなの?」とジュディスが言った。「わたし、あんまりよくは知らないのよ」とミセス・オリヴァは言った。』といった場面から始まるこの物語、若き人々に対する老境のポアロの静かなエキセントリックさが絶妙で、シンプルなプロットなのに、悠々たる筆致と軽妙な語り口で謎を錯綜させるクリスティーの手腕は最晩年に至っても衰えておらず、私は「ハロウィーン・パーティ」をとても楽しんで読み終えた。

 

※各段落の頭文字を繋ぐと、「ハ・ロ・ウ・イン・パー・ティ」となるように工夫しました。

 

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