京都伝説案内…清徳聖と弁慶石 | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

十何年ぶりかで新調した夏衣を受け取りに、京都市中の法衣屋さんを訪ねるついでに、雪駄も新しい物を買おうと思い立った。

インターネットに頼らずに草履を買おうと思っても、もう京都の小売店はほとんど閉店していて、馴染みの店も閉まるか当てにならない現状だと思っていたところ、ある人から錦市場にお店がありますよと教えて頂いた。

今は国内外の観光客で溢れ返る錦市場だが、「宇治拾遺物語」によれば、清徳聖というお坊さんの徳の高さの故に、聖の後ろに目に見えぬ餓鬼、虎、狼、犬、烏などが引き寄せられていたのだが、彼らが一斉に糞をして通りに悪臭が立ち込めた、そこでその通りを糞の小路と人が呼んだが、時の帝が四条通の南が綾小路なら、北の通りを錦小路と呼べば良いと仰ったのが、その名の由来だという。

さて、無事、履物が見つかったその後で法衣屋さんに向かったのだが、三条通まで上がった時に、久々に弁慶石の前を通らせて頂いた。ここもまた、今では小洒落たお店が立ち並ぶ通りなのに、その隙間にこんな史跡が残っているのが、如何にも京都らしい風景で私は好きだ。

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この弁慶石については諸説あり、インターネットでもいろんな伝説が挙げられているので、ここでは私が愛読する「日本の伝説1 京都の伝説」(角川書店)を参照させて頂くことにする。

同書によれば、衣川で立ち往生を遂げた弁慶が石と化し、都へ帰りたいとわめくので、室町時代にこの石を京都へ運んだことが年代記に見えている、一説では鞍馬口の鴨川沿いにあったものが洪水で流されてここまで来たとも言い、一時は誓願寺に置かれていたり転々としたが、昭和の始めにここに落ち着いた、とのことだ

今や妖怪研究の第一人者である小松和彦氏の1980年代の名著を文庫化した「鬼がつくった国 日本」や、同氏が2000年代に京都新聞に連載したコラムを文庫化した「京都魔界案内」(共に光文社文庫)にも採り上げられていない細かな伝説が、京都の街中のあちらこちらに、まだまだたくさん残っている。