私がお坊さんになったのは、元はと言えば昔話に出て来る旅のお坊さんに憧れたからだということを先日、書かせて頂いた時に、インターネットで「旅のお坊さん」と検索したら、昔の旅のお坊さんはどうやって生計を立てていたのですか? みたいな質問サイトがあって、托鉢で食物を得て、夜は野宿だ、みたいな回答をしている方があったのを、たまたま見かけた。
昔の行脚僧が主に托鉢で食を賄っていたというのはまあ間違いではないとして、野宿に関して言えば、確かに野宿もしただろうし、特に頭陀行といって山林修行を旨とする僧侶ならば宿には泊まらなかったかも知れないが、一般的な普通の托鉢僧が、民家などを訪れて一夜の宿を借りるというパターンも、決して少なくはなかったはずだ。
最初にそう思ったのは、実際に私がお坊さんになった後、四国八十八カ所を遍路宿での宿泊と野宿を半分ずつくらいの割合で歩いて巡った時に、十夜ケ橋という弘法大師ゆかりの霊蹟を知ったからだ。
どこも宿を貸してくれず、橋の下で野宿したお大師さんは寒くて寒くて、まるで一夜が十夜の長さにも感じられたという伝説の場所なのだが、ということはつまり、お大師さんだって、宿が借りられれば野宿はしなかったということではないのか?
そう言えば西行法師にも、江口の君が西行に宿を貸そうとしなかったという、謡曲「江口」などの基となった伝説があるが、托鉢僧が宿を借りるというシチュエーションは、断られる場合も含めて、ごく一般的だったのだろうと思う。
江口の君伝説も含む「西行物語」には、西行が「埴生の小屋」や「伏せ屋」に泊まったという記述がある。つまり、粗末な家や小屋であっても、極力、野宿は避けるのが普通だったのではなかろうか。
時代や状況は違うけれど、「入唐求法巡礼行記」を見る限り、慈覚大師円仁は唐の国で基本的にはお寺に泊まり、出来ない時は民家に泊まっている。泊めてくれる家が見つからず、無理に誰それの家に泊まった、みたいな記述さえ見える。
という訳で、「草枕」という言葉もあるように、旅の空で野宿をすることは、昔は今よりずっとよくあったことなのは勿論ながら、特別な場合を除いて、托鉢僧であっても出来る限り人の住んでいる家や、もしくは小屋やお堂のような、屋根のある建物で寝たのではないかと私は思う。
今の時代、寝袋などもあって、物理的には昔より楽な野宿も出来なくはないが、それでも私は春先の四国で野宿して、朝、寝袋に霜が降りていた経験があるので、今だに屋根のある所で寝れるのは有難いなと思うから、昔の托鉢僧がなるべく野宿しなかったのは当然だと実感する。
あと、もう一つ、昔の托鉢僧と今の行脚僧の違いがあるとしたら、食事に関して言うと、今は昔のように托鉢だけで行脚をこなすのは、不可能ではないけれど、ちょっと大変なのではないかと思う。私の場合は、四国のように常に巡礼者に対してお供養お接待を施してくれる土地柄であっても、やはり自分の蓄えを路銀としながら行脚したものだ。
それはそれとして、お坊さんになる前に本当に旅のお坊さんになりたいと思った私は、インターネットもない時代に、町行くお坊さんに声を掛けたり、電話帳で当たりを付けたお寺に電話をして、旅のお坊さんになるにはどうすれば良いかを、無謀にも尋ねたものだ。
そうしたら、ごく普通の町の檀家寺のお坊さまたちは、どなたも本当に懇切丁寧に、十代の私に物を教えて下さった。今、自分の基本が「旅僧」なのだと思って修行させて頂けているのは、本当にそんな皆さま方のお陰なのだと思う。

おしまい。
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