ブッダの成道会にちなんで…比叡山釈迦堂のご開帳 | アジアのお坊さん 番外編

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 先日、比叡山釈迦堂の33年ぶりのご開帳を拝ませて頂いた。釈迦堂の釈迦如来は清涼寺式の、いわゆる三国伝来形式だ。

嵯峨釈迦堂の名で知られる京都の清涼寺の本尊は、宋に渡ったお坊さんがインド伝来の優填王思慕像を模刻したものであるという由来によって「三国伝来」と言われるのだが、私はこの由来に登場する優填王(うでんのう)伝説のことを目にする度に、いつもちょっと違和感を感じていた。

優填王とはインドのコーサンビーの王であったウデーナ王の音写で、ブッダが亡き母に会うために天上(三十三天)に昇っている間、地上にブッダがいないことを悲しんでウデーナ王がブッダの像を作らせた、それが仏像の始まりである、という伝説だ。

学術的にはブッダ在世中に仏像というものは作られたことがなかった、仏像はもっと後になってから作られたというのが定説だが、この辺りの兼ね合いはどうなっているのかと、「釈尊の生涯」(水野弘元著・春秋社)を見てみたら、256頁に「ブッダは成道後、7年目の安居を三十三天で過ごしたとされる、その不在を寂しがり、ウデーナ王が釈尊の像を作ったといわれるが、当時はまだ仏像が作られていない頃のことだから、この物語は創作に過ぎないと思う、この物語は漢訳増一阿含その他北方の伝にのみあって、パーリ仏教では全く知らないことである」みたいなことが、はっきりと書いてあった。

ちなみに「インド佛跡巡禮」(前田行貴著・東方出版)の「カウシャーンビー」の項には、玄奘の「大唐西域記」にもこの伝説が載っていて、その出典は増一阿含経第28であると述べられている。そして、ペシャワール博物館にも、この物語をモチーフにしたガンダーラ石仏があるとのことなのだが、残念ながら私は目にしたことがない。

それはともかく、そして仏像の実際の起源についてもさて置いて、私は日本で釈迦如来の像をお参りする度に、そんなあれこれを考えて、いつも一気に心がインドに馳せて行く思いがする。

さて、比叡山西塔の釈迦堂のご開帳は、史上初の内陣公開を含めて12月10日までだそうだ。12月8日の成道会とその直後の土日までの公開、という意味なのかと思うのだけれど、仏縁ある善男善女の皆様方、公開の日数はあと僅か、どうかこぞってお参り下さいませ。

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                                  おしまい。

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