仏教における「慈悲」という概念について、大乗仏教の側からは「上座部仏教は自己の救済を求めるだけで他者に対する慈悲の概念に欠けている、慈悲利他の精神こそが大乗の特徴」などと言われ、一方で上座部(テーラワーダ)の方からは「そういうことを言う割りに、大乗仏教の経典には、如何に慈悲を実践すべきかという方法が書かれていない」といった批判があったりする。
確かに原始仏典には他者に対して慈悲の心を起こすことの大切さが頻繁に述べてあり、また近頃では、テーラワーダ仏教における「慈悲の瞑想」も有名になった。
それに対して、一般の方にも馴染みのある日本の大乗仏教各宗派の経典には、我々から他者に対してよりも、仏菩薩から我々に対しての「広大なる慈悲心」について書かれていることの方が、比較的、多いように見える。
だがしかし、原始仏教から大乗仏教に至る慈悲の概念を考察した中村元博士の労作「慈悲」(講談社学術文庫)が手元にないので参照できないが、とりあえず、大乗経典も、仏から我々に対する慈悲心だけでなく、人間の他者に対する慈悲の精神を暗黙の内の大前提としている。
自分自身の修行=「自利」と他者に対する慈悲行=「利他」が表裏一体であり、「慈悲」が最も大切な徳目であることは仏教の基本だ。世間的な意味での「愛」や「優しさ」の多寡に振り回されることなく、もっと広い次元における「慈悲」を以って世の中に対処できることは、どの立場に立っている仏教徒にとっても幸いであると思いたい。
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